愛こそすべて、か?


 愛は大切なものでしょうか?
 
むろん大切です。人が人として社会の中で生き、パートナーと巡り会い、自分と他者を大切な存在であると考え、喜びと幸福感を持って生きていく。その上で愛は欠かせないものです。

 ただ、愛が誰にとって大切か?と聞かれれば、それは
人間にとって大切な概念である、ということになります。
 愛の起源を考えるならば、生命の進化に行き当たります。太古の昔、水中を漂いながら栄養を吸収し、成長したら分裂していく。そんな生活をしている動物では知性も愛も必要ありません。

 時を経て、自分の分身ではなく異性との生殖により子供を作るという有性生殖が発達すると、自分の子を大切にするという行動がおこるようになったと想像されます。
 それでもたくさんの卵を産み落とし、そのうちのいくつかが成長してくれればよいという繁殖方法の元では
1個体あたりの種に対しての重みは小さなものになってしまいます。

 劇的に違うのは自分の体内である程度成長するまで育て、生んだ後も自分の母乳を与えながら成長するまで保護をするという
ほ乳類においてです。
 多数の小さな卵を作る方法と違い、
時間と手間と労力が圧倒的にかかる方法です。いくつかが育てばいいと言うわけではなく、少数で生まれた個体はより高い確率で成長させなければなりません
 親は当然子を必死になって
保護し、外敵から守らなければなりません。
 その過程で発達したのが、子供に対する愛情だと思います。親が子供を保護しないと、子供は成長の過程で命を落とすことになってしまいます。
 また、ヒトは社会を構成し、その中で家族を育み子孫を育てていきます。
社会を構成させる上では自分以外のヒトを思いやる愛も必要です。
 自分以外の動物に対してもヒトは愛を感じます。動物、特にイヌなどは人間に対して愛情を示してくれます。それはヒトと
根元においては同一のものを持っているからだと思います。
 逆に、ヒトが親近感を持ちにくい動物というのも存在しますが、それはヒトとの
ルーツが離れていることと関係が大きいのではないかと思います。

 
愛は人にとってはとても大切なものです。愛がなければ、人は他者を思いやることも、より良い社会の構築を目指していくこともできません。
 ただ、
愛がすべての生命において共通に尊く、世界のどこでも通用するものであるという概念は幻想に過ぎないと思います。
 愛を持つから人はすばらしいというのは言い過ぎです。愛を持たないからヘビはヒトよりも下等であると言うことは傲慢な理論です。
 ヒトの概念をもって世界に貴賤を定めていくことは良いことではありません。ヒトと異質な存在に見えたとしても、それは生き方・仕組みの相違に過ぎないのです。


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