ボスとリーダー
人間は社会の中で自分たちを導くものとしてリーダーを求めます。
トップに立つ人間には欲求の持ちようによって大きく2つのタイプに分かれます。
ひとつ目は
自分の個人的な欲求を満たす
ために社会のトップになろうとする人間です。自己顕示欲や金銭に対する執着などなどですが、5段階の欲求説では下位の欲求とされるものです。4段階目の自我の欲求(社会での自分の地位を認められたい)という欲求も、それは社会のためではなく自身のために成されるものです。
そう考えると5段階目の自己実現ですらその目指すものは自分の内部にある欲求を目指すためのものです。
真のリーダーとは自分自身の欲求を越えた第6の欲求「
自身を越えたものに自分を捧げる
」により、
社会の発展自体を喜び
とするものです。
金や名誉のためではなく、自分が理想と考える社会の未来の姿「ビジョン」の成就のために自分を捧げることを喜びとする
ものです。金や名誉は求めるとか忌むとかではなく、「
どうでも良く、ビジョンの達成の前では取るに足りない存在
」なのです。
仮に定義するとすれば、
ボス
とは
自分の内部の欲求のために社会を統べる
人であり、
リーダー
とは
自分を越えた欲求のために社会を統べる
人のことです。
十分に発達していない社会ではボス的な人間の台頭を許します。逆に発達した社会の元ではリーダー的な人間がトップになることが多いようです。
これは
社会が発達しないとその内部の人間の欲求も高度なものになり得ない
ところから来ています。
食うや食わずの生活の中で理想を説いても耳を貸す人はありません。自分がより良くあることよりも、そういう状態では生きること自体が重大な問題だからです。
基本的な欲求が満たされて初めて、より良く生きる、さらにみんなで社会を良くしていくといったことを考えることができるようになります。
社会に暮らす人全体がより高い欲求を持てるようになっていかなければよいリーダーは現れにくい
と言えます。
社会に暮らす人の多くが「より良い社会にしていこう」と考えるようになり、それに対してのビジョンを指し示す人が選ばれるようになってこそ、よい社会へ発展する基礎となるのです。
みんなが自分の利益だけを考えて、そこから代表を決めたとしてもビジョンを示せる人間よりも自分の個人的な欲求を求める人間が輩出される可能性が高くなります。
腐敗した人間を更迭することは戒めとしての効果はあるでしょうが、
社会全体がなぜそういう人間を生み出してしまったのかと言うことを反省する
必要はあると思います。その答えを簡単に言えば、社会がそこまで発達していないからと言うことになります。
高い倫理観を持った社会であり、人間の本質を見抜き、健全なビジョンの元に自分たちを導いてくれる人間を求めるなら、それなりの人間が自然にたくさん輩出されるのだと思います。
明治維新の時に、なぜあれだけ人材が泉のように吹き出したかと言えば、社会全体が高い理想を持ち、そういう人達の出現を望んでいたからだと思います。
今はそれに匹敵する変化の時代です。より理性的に、目先でなく将来の事を考え、より高い視野からものを見ることのできるリーダーが必要なのだと思います。
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