病気と戦争
人間の体と人間の社会は結構似ている部分があります。どちらも新陳代謝を行いながら、流動的に変化しています。
体にとって、通常に活動している状態は社会の平和な時期のような物です。逆に病原体やメカニズムの異常が起きて病気になっている状態は社会にとっての戒厳令や戦争下の状態です。
人間にとって健康な状態が一番なのは言うまでもないように、社会にとっても平和な時期が一番です。人間も健康あってこそ創造的な活動ができますが、病気の時にはそんな気にすらなりません。
とはいえ、病原体が入ってきたら排除しなければ体が死んでしまうように、社会が外部からの危機に脅かされたときにはその脅威を排除しなければなりません。病原体が入ってきてもそれを治療しないで置きましょうと言うのは間違っていると思います。
しかし、戦争はそれ自体は絶対悪です。病原体はいなくなりませんが、人間の場合には相手は同じ人間です。一方が利益を多く得て、もう一方は不利益ばかりを被っているという状況では永久に争いはおさまりません。
一方、平和だけを題目のように唱えるというのでは平和は決して訪れません。
「戦争は残虐だからしないようにしましょう」というのは「病気になるとしんどいから病気にならないようにしましょう」といっているのとほぼ同じ
です。
戦争が歴史の流れの中でおこることを把握し、なぜそうなるか、どうしたらいいのか、を考えないことにはその流れは変えられません。昔戦争を盲目的に支持していた人がたくさんいました。今は平和をただ平和が良いからという理由で支持している人がたくさんいます。それ自体はもちろん悪いことではありません。でもその人達が昔戦争が起こったときと同じような状況になって、同じように平和を唱えるかと考えると疑問が残ります。戦争になるメカニズムの把握がなければ
同じ状況になれば同じように
戦争が起こります。病気にならないようにと毎日注意されていても雨の中で1晩立っていればたいがいの人は風邪を引きます。
病気になると辛いのは当たり前です。それが病気という物だからです。戦争が酷いのは当たり前です。それが戦争という物だからです。
大切なのは
なぜ戦争になってしまうのかを考え、どうしたらその状況を回避できるのか
を考えることです。健康も病気になったから治療するというのではなく、病気にならないですむようにしていった方がいいでしょう。
自分が利益を得るために他人に不利益を押しつけることは立派な悪です。自分の利益を正義の名で包み込むことは偽善であり欺瞞です。
奪い合う世界は不利益を受けている人間によっていずれ崩されます。
物質的な物を奪い合う世の中でなく、精神的な物を与えあう世の中
にならなければ、戦争は終わることはないと思います。お互いが奪い合うのでなく、お互いに利益を受けるような方法を考えあうWIN-WINの発想しか無いと思います。
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