エビは人間に食べられるために海の中を泳いでいるのか?


 日本人は、ゴハンを食べるときに「いただきます」と言います。
 それは、
命を提供してくれる動物・植物への感謝の気持ちを込めたものです。「いただきます」という言葉は、「命をいただかせていただきます」ということを意味しています。

 一神教では
「天にましますわれらの父よ
     :
 われらの日用のかてを、今日も与えたまえ。
     :
                    」
と言います。

 その言葉の中に、
神への感謝の気持ちはあっても、食べられる動物・植物への感謝の気持ちは一切ありません
 なぜなら、一神教においては「
人間以外の命は人間によって役立てられるために存在するのであって、人間にはそれらを自分達のため食べる権利があるし、食べられる動物・植物は食べられて当然である」と考えられているからです。
 人間以外の存在物は、
人間が役立てるために神様が用意しておいてくれたものとされます。

 昔、ベーリング海の浅瀬に暮らしていた
ステラーカイギュウという動物がいます。ジュゴンやトドに似た動物です。
 大航海時代に入り、ヨーロッパから毛皮商人やハンターがやってくるようになると、彼らは人間を知らず、無防備なステラーカイギュウを乱獲し始めました。

 仲間が的に襲われると助けようとする習性を持っているため、集まってくる仲間もまとめて殺戮したそうです。
 航海に際しての貴重な食料になり、捕まれるのもたやすかったため、ハンター達は
 「
ああ、神様はなんて良い動物を我々人間にお与え下さったのだ」と感謝したそうです。
 その結果、ステラーカイギュウは発見から
27年で絶滅しました。
 原因は
人間による殺戮です。

 人間は、地球上で好き放題にする権利を持っているのでしょうか。
 海の中で泳ぐエビは、人間に食べられるために大海の中を泳いでいるのでしょうか?

 「地球の管理責任」を唱える人たちは特に、
命に対しての価値づけをあからさまにします。

 イルカはかわいく、保護すべき存在で、
 牛は人間の食料となるべき存在である・・。

 その考え方はおかしくないでしょうか?
 「
地球の管理責任」も、人間が特別な存在と前提したまま生活環境と生物資源を守る名目を創り出すために、とってつけられたフィクションです。
 もうそろそろ好き放題に価値づけをするのは止めた方が良い、そう思います。
 
人間以外の存在は、人間の価値観とはまるきり別個に存在しているのであって、人間は人間の価値観と関係なく存在するものに対して自分達の判断で勝手な価値づけを行っているだけであると思います。

 エビが海の中で泳いでいるのも、牛が草を食べるのも、
自分達が生き、子孫を残すためです。人間に食べてもらうために存在しているのではありません
 これは人間が食料とすべき存在で、これは自分達が愛情を注ぐべき存在であると価値づけをして、
その価値づけが正しいと考えることは誤りです。

 
人間は自分達が生きるために、その命を捕らえ、食べているのです。
 食料とすべきだから食べているのではなく、
人間が食料とするのに適した性質を持っていたために、自分達にとっての“有用性”ゆえに、人間はそれを「食料」と呼んだのです。

 食べる行為そのものと、食べることができると判断をすること自体は善でも悪でもありません。それは
ヒトが種として生まれ持った理(ことわり)です。

 ヒトは種として生存し存続するために
高い知性を持つに至りました。そして、その知性を用いて、「これは食べられる」「これは食べられない」という判断をしていたのが、いつしか「これは人間にとっての食料であり、高い価値がある」「これは何の役にも立たず、価値がない」とそのものに対しての価値判断をもするようになってしまったのだと思います。

 
最初は“有用性”によってつけられていた評価が、次第に“絶対的価値”に転換されていったということです。
 数多ある存在の中のひとつに過ぎないのであれば、
人間が絶対的価値を判断することができると考えるのは傲慢以外の何ものでもないと思います。

 人間の知性も、他の種と比べれば“
高いように見える”というだけのものであって、絶対的なものではありません。
 もしかしたら、それは自分達の
「愚かさ」を自覚できる程度のものかも知れません。

 
人間が生きるということは、他の命を犠牲にするということです。
 
犠牲にすることなくしては、生きていくことはできません
 
自分が今生きているのは、過去に自分が知ると知らずに関わらず犠牲にしてきた無数の命のおかげなのです。
 まず感謝すべきは、
自分達が自分達のために犠牲にする命に対してではないでしょうか。

 それを、「エビは人間に食べられて当然だ」などというのは、間違いであり、傲慢だと思います。
 人は、
自分達が犠牲にしている命に対して、食事のたびに「いただかせていただきます」と感謝し、犠牲にした命に対して恥ずかしくない生き方をしなければならないと思います。
 それは自分達の「
生き様」として、自分達の人間性を大切にするためにです。


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