本質をつかむ


 現代は恐ろしいくらいの情報に囲まれていますが、その中で本当に自分が必要とする知識は一握りです。例えて言うならばそれは砂の山から金の粒を拾い探すようなものです。

 限られる時間の中で、自分にとって大切でないことのために時間と労力を割くことは不幸なことです。
 自分が成すべき事をなすために何が自分に大切なのかを考え、本当に大切なものと向き合う時間をより多くすることが大事だと思います。

 はやりの物などを追い求めて一時の快楽を得ることができたとしても、それが
自分にとって成すべきものと何ら関係なく違う道上にある物であるなら自分にとっては意味のない、本質とは呼べない物であるのだと思います。

 人と違う外見をしてそれが個性だと思っている考えは間違いだと思います。本当の個性は
社会の中で自分が何を持って社会に働きかけ満足感を得られるかです。より高い水準の欲求で無く、自分の立場に限局した低い水準の欲求による物は自分が生きる上で成すべきものとは呼べないのだと思います。

 一方、人が物事を見るとき、表面に見えているものはうわべの事実です。真実とはその事実の奥側にあるものであり、本質を見る注意をしないと物事のうわべだけしか見ることができません。
真実をより正しく把握することなしにはそれから先を考えることもすべき事を考えることもできません

 昔から言われている言葉で「
賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」というものがあります。
 歴史の淘汰を経て生き残っているものはより物事の本質を表していることが多いが、
自分の経験だけでは物事のうわべだけしか見れないことがあるためです。

 本質をつかむことは大変です。自分がこれは!と思って信じていたことでも実は後から誤りであることが判明することも多々あります。

 
本質をつかもうと努力すること、そして自分が本質を知っているとは思わないこと、これらがともに重要であると思います。
 自分は本質を知っていると思ったとき、それは過ちの始まりなのかも知れません。


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