ヒューマニズムへの問題提起
近代的な人間観は近代ヒューマニズムの完成と共に始まったと言えると思います。
それまで神との関係でしか人間の価値を語れなかったのが、
人間の理性を根拠として神の存在とは関係なく人間の価値を語ることができるようになった
のです。
ヒューマニズムが目指すのは
全ての人がより人間らしく生きる
ことです。そのため全ての人間に等しく価値を認めることによってお互いを尊重し合うことの理論づけをしました。それは人の歴史の中では意義のある財産です。
しかし、そこに隠れているがあまり注意を払われない、しかし見過ごすことのできない点もいくつかあると思います。それを考察します。
ヒューマニズムの意義は
自分達自身の内部と今自分達が生きていること自体に意味を見いだした
ことと
人の間の身分差を否定して個人が個人として存在し生きることを可能にした
点に集約できると思います。
そのためには
個々の人間に価値を与えなければなりません
。ヒューマニズムに対して僕なりに定型式をつけるとすれば、
1.
世界には価値のあるものが存在する
。
2.
人間は価値のあるものである
。
3.
だから人間は尊重されなければならない
。
です。
まず全ての人に価値を与えるという目的
があり、その
結論を導くための理論づけ
であるため三段論法の感は否めません。
ただ、人が互いに尊重し合うヒューマニズムの精神は確実に人が幸せに暮らすことの手助けとなります。
ただいくつかの問題点があるのも実際です。以下順々に書きます。
1.
人間の理性を根拠にしているが人間の理性は絶対といえるものか
。
近代ヒューマニズム以前では絶対的な存在である神を拠り所とすることができました。しかし、
神とは独立した人間観を得ようとする過程でいざ絶対的な存在である神を放棄しようとすると、人間はその存在の足下を失い孤独な存在へと放り出されてしまうことになります
。
神に替わる羅針盤として人の持つ理性を根拠として考えました。正しさの基準は「人間が正しいと思うこと」です。理性によって導かれる理論には直感によって導き出された理論よりも説得力があります。
多くの人が納得できる理屈は社会としての羅針盤にすることができます。しかし、
理性は社会の歴史や文化・教育などの影響を大きく受ける
ものであり、時代が違えば判断も変わります。
また、人が進化の過程で知性を発達させてきたという説が正しいと仮定すれば、サルは不完全な知性しか持ち得ないが、ヒトは完全な知性を持つと主張するのは無理があります。
ヒトの知性は「他の動物と比べると優れているように見える」のであって、それがすばらしく、価値のあるものであるというのは人間が持つ知性による価値づけ
に過ぎません。
2.
価値のあるなしを決めようとしても、それは人の主観に過ぎないものであり客観的事実とは呼べないのではないか
。
価値の高低も人間による価値づけから来るものです。
理性を根拠として物事に価値の高低をはかっていますが、理性自体が絶対的な存在でないものであるならば、それがいかに価値のあるものであることを主張しても、その主張もまた絶対的なものではないことになります
。
人間が価値の高低を考えることはあくまでも「人間にとって」という範囲のものです。
正確に言えば、
価値の高いもの・低いものが存在するのではなく、人が物事を見てそれに価値づけをし、価値が高いだとか低いとかを主張している
のです。
人が物事を見て「これは価値が高い」と言ったとしても、それは人間にとっての「価値が高いと感じられる」主観に過ぎません。客観的に考えようとしても、考えるという行為からは主観的な答えしか出すことができません。「客観的な意見」も結局は主観的なものに過ぎないというパラドックスを持っています。
人の主観で世界の物事に価値づけをしていくことが本当に正しいことと言えるかどうかは疑問です
。
3.
批判を許さない絶対的真理と主張することは新たな信仰を創り出すことではないか
。
ヒューマニズムも
人間の持つ価値観のひとつに過ぎない
と言うことと関連しています。
どんなに正しいように思えることであったとしても、「絶対的に正しいカテゴリというものがありその物事がそのカテゴリに含まれる」のではなく、
人がその理性で「その物事を正しいと判断している」
のです。
正しいかどうかではなく、正しいと思うかどうか
、ということです。
人が価値観を持つのは世界において生存し、存続する手段としてのものだと思います。考えることは正しいものを掘り起こす作業ではなく、目の前にある事態によりよく対処し、より良い未来を自分達が築けるように用いられるものです。
その時代により状況は変わります。乗り越えるべき課題は時代により変わります。
ヒューマニズムは教会と神の呪縛から解き放たれる形で成立していきましたが、
唯一絶対的なものを人間の手で新たに生産することは、新たな呪縛を創り出すことかも知れません
。
4.
人間中心の世界観には問題がないのか
スコラ哲学のもとでは
神中心の考え方
でした。近代ヒューマニズムの誕生後は
人間を中心とする考え方
にうつります。
人にとっては自分達が生きる上での価値観として世界観を持つ以上、人間を第一に考えるのは当たり前
です。ただ、
人間を中心に世界が回っていると主張し、それを真理であるとまで言ってしまうとそれは誤謬に対しての信仰を新たに創り出してしまう
ことになります。
人は自分達が価値のあるものだと知っているのではなく、自分たちに価値があると思いたがっており、実際にそう思っている
と言うことです。
人間を中心とする世界観のもとでは
自分達の利益のためには「自分達より価値が劣ると思われるもの」はどう扱っても構わないという考え
が出てきます。
本当に自分達は価値があるものであり、世界の中心に存在するものだと言い切れるのでしょうか。
ヒューマニズムによる愛護精神の本質を質せば、
価値があるものかどうかを人間が判断し、人間が価値あると認めたものは大切に扱う
ということです。
裏返せば
人間が価値無いと認めたものは大切には扱われない
と言うことです。
犬は大切に扱われます。それは人間にとってはかわいらしく感じられ、価値あるものだと感じられるからです。
カラスは大切には扱われません。それは人間にとってはうとましく感じられ、価値の低いものだと感じられるからです。
価値のあるなしは人間が決める概念
です。
人間が感じることが世界において絶対的な価値を持つとは言い切れません
。価値の高低は人間の頭の中で創り出される人間同士でのみ通じるものです。
犬は犬なりに生きています。カラスはカラスなりに生きています。
人は物事を見てそこに価値づけをします。その行為事態は善とも悪とも言えません。ただ、
人が価値づけという色眼鏡を通して物事を見ていると言うことは認識
しておかなければなりません。
人間は誰からも世界への価値づけをする権限は与えられていません。人間が物事を見てそこからどう感じるかは人間の自由です。ただ、自らの感じたものを唯一絶対の真理と称することは傲慢な行為であると思います。
物事に価値のあるなしがあり、人はそれを見分けることができるというのは誤りです。実際には
人がそれを見て価値づけをしている
だけです。
ヒューマニズムも価値づけのひとつの手法
です。それが絶対的な価値観だとは言えません。
考えさせることなくひとつの価値観を信じ込ませる行為は教育ではなく洗脳を意味しています
。
5.
生きる主体としての人間を存在する実体としての人間へと変質させた
人の命そのものに価値があるという前提は誰もが軽く扱われないための理論的な盾
となります。
ただ、命に絶対的な価値を認めると言うことは、生まれ持った命を生きることに使うことは
義務
と言うことになります。
かつて、精一杯生きたいという思いから創り出された概念は、
それが価値あるものとして与えられた時点から、「生きなければならない」という義務
に姿を変えてしまいます。
「精一杯生きていたいと思っていてもそうできない」という縛りは、「生きていたいと思わなくても生きていなければならない」という逆の縛り
となって人の前に現れました。
生きる主体としての人間像は、価値ある存在としての実体に姿を変えられ、主体性を見失う人を多く生み出している
ような気がします。
以上の問題点を考えて行く上では、
なぜヒューマニズムが創り出されたのか
を考える必要があります。
その背景にあるのは精一杯生きていたいと思う人が生まれ持った状況に制限されるせいで精一杯生きる選択をできなかったからであり、そのために
誰もがより安全に、幸福に生きられるようにはどうすれば良いか
が考えられました。
そこから、「人にはそれ自体価値があるので尊重されなければならない」、という理論が創り出されたのです。
神という絶対的な存在から人間を切り離すことはある程度成功しました。ただ、
自らの存在の根拠を失ったためにアイデンティティは揺らぎました
。
神に替わって価値の根拠とされた理性も神ほどの確信を与えるには至りません
。
ヒューマニズムの根幹は人間の存在の意味と自身の価値にまで入り込んでいるため、根っこを掘り返すのは大変です。
逆説的に言うと
人は価値あるものであるという前提をまず作ってしまったために、それを裏付ける根拠がなければ不安を感じる
のだとも言えます。。
では、その問題点を克服した考え方はどうすればできるのでしょうか。
次のコラムで考察します。
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