生きなければならないから生きるのか?
生きていたいから生きるのか?


 もし自分の子から「なぜ生きなければならないの?」と聞かれたらなんと答えますか。簡単なようで実は根の深い問題です。それは命というものの根本と直結している問題だからです。

 ほとんどの場合、僕達は生きる理由についてはあまり深く考えずに生きています。生きる理由は掘り下げると深すぎて底なしの沼地に足をつっこんでしまうような感覚に陥ってしまいます。
 
 ここでは、タイトル通りに僕達が生きるのは「生きなければならない」からなのか、それとも「生きていたい」からなのかを比べてみます。

1.「生きなければならない」からなのか?

 この考えは
生きることは義務だという発想から出ています。
 それは
命には尊い価値があり、尊い価値を持つ命を粗末にすることはいけないことだからと言う考え方です。価値を決めるのは社会や文化など、自己以外の他人です。本人の意志の有無とは関係無しであり、至高の目標として示されるものです。
 この考え方の利点は
誰にも一律に適用できることと有無を言わせずに押しつけることができることです。なぜだと聞かれたら「そういうもんだ」で全てを解決させることができます。
 自明の目標として揺るぎない信念のもと相手に目標を指し示すことができ、相手が不安を覚えている場合には特に大きな効力を持ちます。
 一方で最大の、そして根元的な問題は「
それが本当に正しいと言えるのか」ということです。自明の真理と主張したとしても、人間の存在と関係無しに存在するものなのか、人間が頭の中で考えているだけのものなのかは証明しがたいものです。
 自律的でなく、
外からの強制としての他律でしかないことも問題です。嫌だろうが生きろと言うことは生きることの放棄をさせないことでは意味がありますが、本人が自分の意志として生きるということまでは強制できません
 義務だという根拠は何か、価値を持つという根拠は何か、突き詰めていくと形而上の問題に行き当たります。価値論まで追求することはここでは避けます。

2.「生きていたい」から生きるのか?

 この考えは
生への願望を根源的なものと考える発想から出ています。
 生きることは他から強制されたものでなく、
自分の意志と願望により選ぶ行動の選択の結果としてのものです。自分を律するのは自分自身であり、主体的な生き方として喜びを持って生きるための態度です。
 そこでは命への絶対的な価値の有無は問題ではありません。
絶対的な価値があることを知っているから選ぶのではなく、自分にとって価値が高いものだと考えられるから生きることを選ぶのです。価値を決めるのは自分の心です。
 欠点は生きていたいと思わない人間に生きることを強制することができない点です。この視点だけから生きることを他人に選ばせるには、生きることをすばらしいことだと実感させ、自分でその選択をするように教育しなければなりません。

 この考えからの派生としては、「生きて欲しいと望まれる」ことも考えられます。願望を基礎にしますが、
望むのは他人だと言うことが異なる点です。
 
生きて欲しいと望む気持ちが表現を変えたものパターナリズム(父権主義)です。
 一時の感情で生きる望みを失ったとしても本人がそこから立ち直り、また自分の意志でより良い生を求めていってくれるように手助けをするものです。パターナリズムに最も大切なものは真実に対しての信念ではなく、
生きる主体としての本人に対する愛情だと思います。

 特定の個人から生を望まれない人は生きる価値がないかというとそうも思いません。社会に属する人は全て社会にとっては大切な存在であり、個人を大切にすることが社会の大切な役割のひとつです。
 社会が目指すべきは
個人個人がより良い生を心から望めるような土台を形成することだと思います。

結論:
 生に対して義務感かそれとも願望か、どちらを優先させるかは結局思想の範疇の問題です。どちらが正しいと決まっているものでもなく、証明することもできない問題です。
 ただ、
絶対的なものがあると仮定して議論を進めていくという点においては生を義務と考える方がより多くの誤謬を生み出す余地があると考えられます。
 理想としては
全ての人が主体として「生きていたい」と願い、その気持ちを互いに尊重し合うという形が最も好ましいのだと思います。

 今の時点では、子供から「なぜ生きなければならないの?」という疑問には「
生きることが義務かどうかは分からない。ただ、僕はキミに精一杯生きて欲しいと願っている。」という答えになると思います。
 その続きとして、そういう
本人自身が精一杯生きる姿勢を見せること、精一杯生きることはすばらしいと感じられることだと言うことを理解させることだと思います。
 嫌だろうが何だろうが生きなければならない、では本人が持つ生への疑問に対して答えていることにはなりません。

 
その疑問は本人が生を価値あるものと感じられないことから出てきているものですその解決は本人が自身の心で生を価値あるものだと感じないこと以外にはあり得ません


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