命の大切さを教えるということ
近年少年による凶悪犯罪が増えたと言われるようになって久しいですが、その根底には「少年達が
命に価値を見いだしていない
」ということが大きいと思われます。
一方、事件が起こるたび周囲の大人達は子どもに命の大切さを教えていかなければならないと言っています。口で言うのは簡単ですが、実際それを教えるということは大変なことではあります。子ども達に何をどう伝えていけばいいのでしょうか。
最初に整理しておかなければならないのは、
「命の大切さ」というものは物質的なものとしてこの世に存在するのではなく、人間の頭の中にある価値観だ
ということです。
「命の大切さ」を教えるという言葉は、実は
欺瞞とすれすれ
の言葉です。絶対的な価値観というものがあり、それを学ばせると言っていることだからです。
絶対的な価値観はこの世にはありません
。
個人が自分のために、社会のためにより有意義な人生を送れるよう好ましい人格を形成させる
ということが大切なのです。
従って、「命の大切さ」を教えるという言葉を正しく言い直せば、「
命を大切と思う心を育てる
」という事です。
命は大切ですよと1000回繰り返し言ったとしても、
本人が心から「大切にしたい」と感じていなければ無意味
です。
命を大切に感じるということは、まず
自分自身の存在を大切に思うという事から始まります
。金銭や流行のものなど、自分以外の所に焦点を当てるのではなく、
自分自身の存在に焦点を当て、それに価値を見いだす
ということです。自分から離れたものに焦点を当てることはあまり本質的ではない事だと思います。
他者を大切に感じるということは、
自分を大切に感じる心が枠を拡げていって、他者をも自分自身のように大切に感じられる
ということに昇華できるということだと思います。
命を大切だと思う最初のステップは
自分という存在をよく知る
ことから始まると思います。自分が生きているのは自分一人で生きているのではなく、いろんな人の支えや積み重ねがあるおかげです。
そして、
精一杯生きるということは価値のあることだと理解する
ことが大切です。人は心の成長過程で周りの人間、特に両親の姿を見ながら生の価値を捉えていきます。
両親が子どもに精一杯の愛情を注ぎ、精一杯生きるなら、その子どもも自然に自分はかけがえのない存在であること、精一杯生きるということは価値のあることであるということを学んでいきます
。
子どもが自分に対して他者に対して価値を見いだせず、精一杯生きることにも価値を見いだせないとしたら、それはまず両親が愛情と生きる姿勢を子どもに見せることができていないということの裏返しであると思います。
自分の生をかけがえのないものだと思えない人間に他者の生をかけがえのないものだと思うことはできません
。
心の成熟度は自分自身を受け入れることから始まり、次第にその枠を拡げていきます。
「命の大切さ」を教えたいと願うなら、
まずそれを教えようとしている自分たちが、自分自身の生に対して誠実でなければいけないでしょう
。
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