ここだけ読むと、多分誤解をします。
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生命の尊さ(未完成)
このコラムの目的は「生」について考えることと、常識とされていることについてももう一度考察をしその本質を見つめてそこからどうすればいいかを考え価値観の再構築をはかることです。
生について考える過程で悩んでいる問題があります。それは
「生命は尊い」という言葉は真実か?
ということです。
獣医が何を言っていると言われそうですが、生の本質を見つめようとする過程で袋小路に陥っています。
尊いという言葉は
人間の主観
によるものです。
しかし、
人間の価値観は宇宙の中では絶対の真実と呼べるようなものではありません
。
生命をいとおしく思う、ということは人間がどう価値判断をするかと言うことであり、そこに嘘偽りはありません。
ですが、「この宇宙の中で生命は何よりも尊い」とまで言い切るとそれは
自分たちで自分たちに価値づけをしていると言うことでありエゴと欺瞞に満ちた行為です
。
「尊い」という言葉を
大事にすべき、敬うべき
と捉えるならば「命は尊い」という言葉は真実だと思います。それらは
人の心の姿勢としての問題
です。
しかし、
価値がある、特別である
という意味で捉えるならば、「命は尊い」という言葉には多少の誤謬を感じます。それらは
自らを越えたものに自分たちの価値観を摘要しよう
としているからです。
僕はこの世の全ては奇跡によってできた存在だと思います。計り知れない偶然の積み重ねの上に成り立っている、そのことについて考えればこの世に存在する全てのものの間に違いはありません。
僕は生命をもろさと強さを併せ持つ、いとおしく愛すべき存在であると思っています。それはあくまでも僕の主観であり、客観的事実がどうであるかとはまた別のものです。
人は望む動物であり、自らの希望を価値観に込めています。価値のあるなしはあくまでも人の心のとらえ方によるものです。
高い価値としての生命の尊さを自ら主張するのは命を持つ者のエゴでは無いかとも思います。
僕には妻子もおり、彼女たちのことを愛していますし僕にとってはかけがいのない存在です。
しかしそれは僕にとっての主観であり、「この世において何よりも生命は尊い」と言い切ることとは別問題です。
じゃあどういう気持ちで診療しているのかと言われれば、動物に幸せに生きて欲しい、動物を大切にしている飼い主さんの気持ちに答えてあげたいと思って治療をしています。それはあくまでも僕の主観としての心の姿勢のあり方です。
人は感情を持つ動物であり、その感情を大切にすることは大切です。自分の気持ちや主観は自分にとってはという限定をつけるなら真実と言えます。しかし、
自分の主観を客観的な事実にすり替えて真実だと主張することは誤り
ではないかと思います。
「生命の尊さ」を神聖で触れてはならない領域とすることは一番簡単な道です。でもそれは思考の放棄に他なりません。
まだ思索中の問題であり、結論は出ていません。絶対者を介した価値観でなく答えを出せるかどうかはまだ思案中です。
僕の望むのはより正しい真実を把握し、より好ましい価値観を形成すると言うことです。どなたか意見がありましたら教えてください。意見交換をしていただけるとうれしいです。
このコラムは結論などではなく、人の価値観に対する問いかけです。
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