生命の価値


 家族に見守られながら看取られていく動物もいれば、人知れずひっそりと死んでいく動物もいます。このコは何のために生まれてきたんだろう、生きてきた意味があったんだろうかと考えさせられることもあります。

 生命の価値を考える前に、「価値」というもの自体を考える必要があります。絶対的な価値観というものなどは無く、絶対的な物を考えようとするのは人間のエゴだ、と僕は考えます。
価値観は相対的なものであり、人間社会の中でのみ成り立つもので、時代や地域により大きく変化します。人間は自分の存在を必然とするために絶対的な価値観を作り、そこに人間と自然を当てはめてきました。

 人間は絶対的な価値観を作りたがります。その中で自分の物差しで周りを判断したがります。「地球は人間のために作られたものなので人間はどう扱おうがかまわない」という考えは好きになれません。人間の命は地球より重いというのはこの上ない暴言です。人間が進化の中で偶然に生まれたものであるならば、その人間に自然を好きにする権利なんてありません。

 ひとつの物でも違う角度から見れば無数に形があるように、物の価値に対してもいくつかの見方があります。生命の価値に対して考えるとき、わかりやすくは、本人にとっての価値、人間社会にとっての価値、絶対的な価値があります。

1.
本人にとっての価値
 本人にとっての自分自身の生命の価値はなにものにも代え難く、世界で一番尊いものです。自身と同じ生命は他にはどこにもなく、今と同じように宇宙が生まれ進化していき、そこで生命が誕生したとしても、自身がまた生まれることはありません。
誰にとっても今の生命はすべからく大切な物です。このことは人間においても動物においても、虫でさえも何ら変わりはありません。

2.
人間社会にとっての価値
 人間が歴史を残し始めてからつい最近まで、驚くほど生命の価値という物には無頓着でした。人間の命でさえも物として売買の対象とされ、金で買われた人間には反抗する権利などカケラも与えられませんでした。人権という概念が根付いてきたのはフランス革命以後のことです。
 社会にとっての生命の価値は
その時々によって大きく異なります。社会はもともとは人間がいかによりよく過ごせるかを追求しながら発展してきました。追求する物は「人間にとっての利益」です。それは今も変わっていません。現在では環境を大切にしようと言う考えも大きくなってきていますが、環境をなおざりにすることが結局は人間の不利益になるということに気がついてきたことが大きな原因です。
 この概念の中では人間が価値の決定者です(動物でも人間への利益・不利益によって益獣とか害獣とか呼ばれます)。

3.
絶対的な価値
 絶対的な価値観など無いとするならば
生命に絶対的な価値があるかと考えること自体がナンセンスです。どの生命も自然の一部にすぎず、大きな流れの中で一時的に自然の法則が個体となって見えている存在です。

 どの考え方が正しいとか、どれが一番だとかということはありません。それだけ多面的だということです。

 気づいていると気づいていないにかかわらず、全ての生命の中に自然の摂理が息づいています。その摂理無くして存在する生命はありません。全ての生命に尊さの上下はありません。
 あるのは存在している物に意味づけをしようとする人間の物差しだけです。


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