一番楽な生き方


 いかに生きるか、それは言い方を変えれば「何を目指して生きるか」と言うことです。先行き不透明な時代で社会全体の目標が見えにくくなり、自らの目指すものを何に設定して良いかがわかりにくい時代になっています。昔なら自分の身分により生きる筋道が半ば決まっていましたが、現在では自分でそれを見つけださなければなりません。あたかも「自由の束縛」に囚われているかのようです。

 生きる目標の設定として、お金を稼ぐことを目標にしたり、自分の精神的な充足を目指したり、人によっていろいろです。
 どれが正しいとは言えません。精神的に充実感が得られ、みんなに喜ばれるならばとりあえずはいいといえるかも知れません。

 しかし、自分が人として生まれ社会の中で生きていく上で、目標を自分の事だけに設定することが最善とは言い切れません。

 全ての人は社会の中で生まれ、自らの役割を果たし生きていきます。会社に入っても自分で店を構えるにしても、生活し社会活動を行う上でストレスを受けることは避けられません。

 ストレスの種類は様々ですが、一番のストレスは
自分のやりたいことと実際にしていることが異なることだと思います。人は皆、何かを成すために生きています。それぞれの個性も能力も適性も自分にふさわしい事をなし、社会に貢献するとともにそれを通じて充足感を得るための物です。

 人間にとっての最高の状態は
自らの成したいことと社会の要求が一致し、したいことをしていればみんなが喜び自分もうれしいという状態だと思います。

 孔子のいうところの「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」とは、
自分の持つ欲求と社会の要求が一致するようになるためと思われます。

 欲することを行う状態とはすなわち
自己実現を果たしている状態です。自分が何を成すべきかを把握し、自分の能力と適性を発揮している状態です。

 そしてそのさらに上の状態、「
自分を越えた物に自らを捧げる」というのはただの自己犠牲ではありません。それは自分を発揮しながら自己の内部への欲望よりも、より大きな事柄の成就をより切望するという「活己」と「滅己」の共存の状態です。

 それは自分が意義のある自分よりはるかに大きな物に参加し、そのためなら自分の存在などちっぽけな物だと考えることができるということです。そこでは自分は大きな存在の一部として最大限に活かされています。

 大きなものを成すという使命感とそれを成し遂げつつある充実感の元では疲れは感じられないと思います。正しくいえば
自分は疲れているのかも知れないがそんなことはどうでも良く感じられるという事です。

 一歩カルトと見間違いますが、人の生き方として一番楽な生き方は
使命感に突き動かされて生きるということだと思います。


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