自殺と自己決定権


 生を考えることの延長上には死に対する思索が避けられません。
 生きる権利が認められて久しいですが、生きる権利を認める社会においては、自分の生を自ら絶つ権利も許されるのでしょうか。

 踏み込んで考える前にいくつかの考えを整理しておきたいと思います。まず考えないといけないのは、
判断能力のある人間は自分に不利益と思われる行為だとしてもそれをする事が許されるとする「愚行権」です。

 加藤尚武先生によれば、
1.成人で判断能力のあるものは(判断能力)、
2.自己のものについて(所有権)
3.たとえ愚かな行いであっても(愚行権)
4.他者危害とならない限り(他者危害)
5.自己決定権をもつ(自己決定権)
 という定型式となっています。
 タバコを吸うことは愚行権の範疇で許されるでしょう。しかし、自分の命を絶つことさえも自己決定権の範疇だと言い切れるでしょうか。

 2つ目は
パターナリズムの問題です。パターナリズムとは父権主義、父権温情主義などと訳されますが、当人が明らかに自分のためにならないことをしようとしているときにはその人の自己決定を無視してでも「当人に利益のあること」を強制できるという考えです。
 嫌がる子供を歯医者に連れて行ったり、バイクに乗る人にヘルメットを強制したりというのはパターナリズムの考えによって正当化されるものです。

 3つ目は「
人権」と「命の尊さ」とのかねあいです。
 近代ヒューマニズムでは人の命はそれだけで価値のある尊いものと見なされています。その延長で
生きること自体を尊いことだと見なすならば、生を授かった以上尊い生を大切にしないといけないことになります
 僕は「人権」は「社会の中における生存権」と呼んだ方が正しいと思っています。その定型式は、

1.生きていたいと思うもの、生きて欲しいと思われるものは、
2.構成員として所属する社会において、
3.存在を尊重され、充実した生を追求できる。

 です。ただ、「生きていたいと願う人は生きることができる」の逆が真であるとは考えません
 
生への真摯な態度が現時点で例え薄くとも生きる過程で得られる経験により生への願望が高まることは普通だからです。
 「精一杯生きること」はたいていの人がもともと持っている要求ではありますが、社会としても個々人がそうあるよう教育していくべきものだと思います。

 ここから、「自殺」というものに対しての考察をしていきます。
 一口に自殺と言ってもいろいろな種類のものがあると思います。それをいくつかの要素に分けるなら、

1.自殺に対する積極性
2.冷静な判断力を持っているか
3.他に選択肢がないのか

 などがポイントになると思います。
 死にたくはないのだけど、やむにやまれぬ状況に追い込まれ、冷静さを失い、努力すれば道が開けるはずの所で目の前の辛い状況から目を背けるために自ら命を絶つと言う人もいます。不況やリストラの影響で自分以外の外部要因の変動に巻き込まれた場合は特にそうなってしまう人もいるのだと思います。

 その場合には
冷静な判断力を失っているために自己決定権はあるとは言えません。パターナリズムの考えのもとその人の自殺を止まらせ、冷静な判断力が回復するのを待って、生きる意志をまた持たせ、新しい選択肢を創り選ばせるように持っていくべきかもしれません。

 ただ、本人が耐え難い状況によってやむなく死以外の選択をできない状態になっているときには、まず
いったんその状況をリセットすることが必要だと思います。
 本人が精神的に追い込まれ、アップアップの状態になっているときにいくら生きろと言い聞かせたところで効果はないでしょう。外部からのプレッシャーを加えることにより、本人は余計に追いつめられるかも知れませんん。

 逆に、
本人が冷静な判断力を持ち、他に選択肢がある中で意志と願望により死を選択し、積極的に死を望むならば社会としてはその要求にこたえざるを得ないのかも知れません

 ただ、
死を軽々しく選べるような雰囲気となって精一杯生きることが軽視されるようになってはいけません
 死を望む人であれ、生への渇望を心に持てるよう努力はしていくべきです。生への渇望は後からでもわき上がる可能性がありますし、生きる願望が出れば死以外の選択肢を選ぶ余地はいくらでも出てくると思います。

 どちらの場合でも、
「精一杯生きなさい」といくら言い聞かせたとしても、本人がそう望まなければ意味はありません
 結局は
本人自身が自分の生に価値と意義を感じるかどうかに尽きると思います。
 子供の時に親によって「
自分を大切に感じる心」を教えてもらっていれば、社会に出てからも「自分は大切な存在だ」と言う心が「自分を愛するように他人を大切にしたい」という気持ちにつながっていくと思います。

 幼少時代に自分を大切に感じる心を築けなかった場合、大きくなってからもつまづきやすくなるのだと思います。それは
自分を信じる心でもあるからです。

 自殺したい人がいるとき、その原因や動機によってそれぞれ個々に考えなくてはなりません。
 ひとまとめにして自殺に対する善悪を判断するのも乱暴なことです。

 ただ、
人がそこまで生きてきたということは他の命をそれまでにも犠牲にしてきたと言うことです。僕自身はそれまで犠牲にした命を無駄にしないためにも、自分が今授かっている命を粗末に扱わず大切にしないといけないのだと思います。

 命に対する価値観は人それぞれですが、
自分の生が一回だけでやり直しのきかないものであるのは確かです。
 僕としては、せっかく授かった命なのだから自殺などで終わらせず精一杯生きることに命を用いて欲しいと願います。


このHP内の文章、イラストの無断転載を禁じます。
著作権の一切は二本松昭宏に属します。
ライン

あなたのご感想を心からお待ちしております。

おなまえ(ハンドルでも)

メールアドレス(できれば)


性別

メッセージ・ご感想