今、自殺しようとしている君へ


 これを読んでいる人が、特に自殺なんてものを考えていないなら、この先を読む必要はないでしょう。
 もし、君が自殺を考えているのなら、少しだけ僕の書くことに目を向けてみてください。

 僕は、君がどうしても死を望んでいるのなら、それを止める気はありません。生きるか否か、どう生きるかなんて、そんなことは本人にしか決めることのできないことだからです。
 「
」のあり方については他人が決めることではありません。

 しかし、「
」について語るなら、知って欲しいことがあります。それは君の命は誰の力も借りずにここまで大きくなったのではない、ということです。
 君は、今日の朝食や昨日のご飯にも、肉や魚や穀物や野菜といったものを口にしたと思います。

 もとの形と異なった姿で君の前に並んだために、あまり意識することはないかも知れませんが、
君が口にしたものは、君の前に並ぶしばらく前までは紛れもなく命を持ち、自分なりの生を送っていました

 動物や植物といった、目で見ての違いはありますが、それは人間側がつけた区分です。それぞれ個々の命であったことに変わりはありません。

 
それぞれの命は、君に食べられるために存在していたのでしょうか?
 
牛や豚は君に食べられるために草を食み、魚やエビは君に食べられるために大海の中を泳いでいたのでしょうか?

 そんなことはありません。
 
それぞれの命は、自分自身がそれぞれ精一杯生きるために誕生し、君に食べられるため命を奪われるまでは、自分自身のために精一杯生きていたのです

 その
精一杯生きていた命を、僕達は自分達自身が生きるために奪い、その結果、君はその命を口にしたのです。
 
君は、君の目の届かないところで奪われた無数の命の犠牲の上に、今生きているのです。

 君がもし今、命を絶つというのなら、それは
君のために奪われた命を無駄にするということです。
 君がもし今、自分自身の命を否定するのなら、それは
今までに君が奪ってきた全ての命を否定するということです。

 それでももし、君が自分の生きることに絶望し、生よりも死を選びたいというならば、僕は止めはしません。
 
だらだらと生きている人間であっても、自分の生のために無数の「精一杯生きている命」を奪うことにかわりはありません
 
生きていたいとも思わずに生きる人間のために、自身の精一杯生きている命を奪われるとしたら、奪われる側としてはたまったものではないと思います。

 
人が生きるということは無数の命を奪うということです。
 君は今までも無数の命を奪ってきました。君がこれからも生き続けるなら、それはこれからも無数の命を奪い続けながら生きていくということに他なりません。

 自分が今まで奪ってきた命に報いたいと思うなら、君も精一杯生きなさい。
 少しでも感謝の気持ちがあるなら、自分が奪ってきた命に自分の姿を見せても恥じないくらいの生を送りなさい。

 
人がどう生きていくか、それを決めるのは自分自身でしかありません
 正しい道などはありません。
何が正しいかは自分の頭で考え、自分が正しいと思った通りに自分なりに精一杯生きるだけです。
 
悩むことは人として当たり前のことです。恥じることではありません。

 悩み、考えながら生きる人間より、
何も考えずにだらだら生きている人間の方がよほど人として恥ずかしい存在であると思います。
 悩んでいるなら、精一杯考え抜きなさい。

 今は苦しいとしても、悩むことこそが人間らしいことであり、また精一杯生きているということだと思います。悩み、考えることは決して無駄には終わりません。
 がんばって生きてください。その先に、君の求めるものがきっと見つかるはずです。


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