価値観の持ち主


 価値観の持ち主としては、「個人のレベル」とその個人の集まりである「社会のレベル」があります。社会は形としてあるものではありませんが、「みんなそう思うだろう」とお互いに感じていることにより社会の価値観というものが成立しています。

 自分が何かを感じていたとしても、周りの人がみな違う意見を持っているときには、「あれ、自分の考え方が間違っているのかな」と考え、軌道修正することもあります。中には周りの人がどう思っていようが自分の意見を貫き通そうとする人もいますが、その人は
「多くの人が持つ価値観と違う価値観を持っている」ということで変人と見なされます

 ものごとを根っこから考えようとする人もその視点から考えると立派な変人です。「赤信号では止まりなさい」と教えられたときに、ほとんどの人が「分かりました」と答えているのに、ひとりだけ「なぜ止まらないといけないのだろう」などと考えているようなものだからです。

 ただし、誰もが同じような考えを持っているとしても、それが正しいとは限りません。それは
社会全体の価値観に影響され、多くの人がそれが正しいと信じているということであって、「正しいから信じているの」ではなく、「そう教えられたからそう信じている」ということにすぎないからです。

 昔の人が信じていたことを僕達が見直すと、なんて変なことを信じていたんだと感じさせられることも多々あります。しかし、
その価値観が常識として働いていた頃は、少なくともその社会の中においてはその価値観が価値基準や判断基準として効果的に役目を果たしていたということでもあるのです。僕達も今、自分達が信じていることはおそらく正しいと信じています。しかし、後の時代から見ればいびつなものに見える可能性は否定できません。

 
地域が違えば、時代が違えばその社会の中に暮らす人が持つ価値観は異なります。それは真理が相対的なものにすぎないからというよりは、その社会を包む背景の違いによって社会が持つ価値観も異なってくるため、その中で暮らす人の価値観は別の社会とは異なるものになるということです。真理が様々というよりは、価値基準や判断基準が社会ごとに異なるだけです。

 では社会から個人は影響を受けるだけかというとそうでもありません。たしかに個人は社会からの影響無しに価値観を持つことはできませんが、その一方で
個人の考えた思考を周りの人に伝え広めようとすることによって、社会全体の価値観に個人の価値観を反映させることが可能です。

 個人の思想が社会に影響を与えた例は数多く存在します。宗教でも自然発生的に成立した宗教以外に、明確な開祖と呼ばれる人間を持つものがたくさんあります。例えば釈迦は仏教の創始者として伝わっていますが、彼は独自で何もないところから仏教の思想を創り上げたのではありません。そこにはインドに古くから伝わるウパニシャッドの哲学やバラモン教などの基礎があり、「真理」を求め尊いものと考える人々の価値観があって、釈迦はその中で自分の思想を築き、磨き上げたのです。その思想は周りの人に伝えられ、自分の教団という小さな社会を築き上げ、さらにそれが国というさらに大きな社会に影響を及ぼしていきました。影響が及ぼされる図式は
「社会→個人」から始まり、「個人→社会」へと還元される形となります。

 今の僕達の生きる現代でもその図式は変わりません。それは真理というものを人間が内在させているからではなく、
人間が生まれつき持っている人としての特性の中にそのメカニズムが含まれているからだと思います。

 人は確かに社会に影響を受けますが、社会という存在は物質としてこの世に存在するものではありません。それは人間が集まり暮らしながら相互に影響を及ぼし合うことで生まれる、
人の集まりの枠組みそのものの名称です。その概念は「社会というものがこの世に存在している」と信じている人が多数を占めることによって形成され維持されるものです。

 価値観というものも人間の持つひとつの概念に過ぎません。それは「価値観というものを人間は持っている」と多くの人が信じることによってこの世にあると信じられるものです。

 価値観を生み出す主体は厳密には一人ひとりの個人です。正確に言えば、社会の持つ価値観とは、「社会というものがこの世に存在し、その社会はひとつの価値観を持っている」と信じる人が多数を占めることによって形成されるものです。

 
価値観はあくまでも人間の社会の枠組みの中でのみ通用するものであり、人間の枠を超えたところに人間の価値観を適用しようとすることは無理であり無意味です。多くの人は正義や思いやりといった概念はこの世に確固として存在すると思っています。そしてテレビでライオンがシマウマを襲ったりする映像を見ると、かわいそうとか、ライオンは残酷であるとかの印象を受けます。身近なところでも、犬が犬同士でケンカをしたりするところを見ると強い方をたしなめたり、人間の道徳観を押しつけようとしたりします。

 しかし、人間の価値観が人間の中でしか適用できないことを考えると、他の動物を見て感想を受けるのは致し方ないとしても、
人間以外に人間の道徳を押しつけようとしたり、人間の価値観をもって他の動物の行いに善悪を判断しようとするのは間違いです。


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