権利の思想に潜む誤謬
自由社会が発達し、いろいろな権利が叫ばれるようになっています。かつては生きること自体が死活問題でしたが(今も世界中で多数の人がそうです)、今日ではより良く生きることが求められています。
願望を叶えられるという点では良いのですが、疑問を感じざるを得ないような権利も唱えられています。果たして権利とはなんでしょうか。
権利には2種類あると思います。
ひとつは
社会契約的
なものとして、
個人間でなされる契約に基づく
ものです。「私は対価を支払ったので、サービスを受ける権利がある」というものです。対価を受けとった以上、権利に応じるのは義務となります。
社会契約はあくまでも個人間で行われるもので、意志を持った人間同士でのみ成立するものです。従って
人間の枠を超えて適用することはできません
。
もうひとつは人間の作った概念を
自明の真理
と見なしているものです。
概念は知性から
生み出されるものです。それを
方向付けるのは願望と意志
です。願望と意志を持っていたとしても、それが絶対的なものであるかどうかは別の次元の問題です。
「生きていたい」という思いは生命が恐らく普遍的に持つものです。社会が未熟な上では生きていたいと思っても、それを遂げることのできない人がたくさんいました。社会が発達していくと、誰もが生きていたいと思う願いを遂げられるようルールを作ろうという考えから、「誰もが生きる権利を持つ」という概念が創られました。
良い悪いではありません。
人間は自分たちで概念を創り、それを自明の真理と見なそうとした
のです。それは幸福に生きる人間が増えるための行為ではありますが、自分たちの枠を超えたものに自分たちの概念を当てはめようとする行為であり、誤謬を生み出す元です。
やっかいなのは、
一度絶対的なものとされた権利は、それを疑うことも批判することも許されないようになる
ということです。
固定された世界観と目的を絶対視するならば、それは教育ではなく洗脳と言えるのかも知れません
。
人の価値観は時代が変われば変化します
。
人の社会が環境に影響を及ぼし今まで通りにすることができなくなるなら、それに合ったものに価値観も作り替えていかなければいけません。
絶対的な価値観があると考えることは長い目で見れば人類社会にとっては害悪です
。
「権利」が存在しないとは言いません。ただ、権利は人間によって創られた、
人間社会限定
のものです。その枠を超えたものに当てはめようとするのは人間の傲慢さによるものです。
一方、「人権を守ろう」と役所などに書いてあるのは当然のことです。役所はその社会の中に働く人のために存在するもので、訴えかける相手もその社会の中の人です。
社会の構成員としての個人には、その社会の中で生きる権利があります
。義務を果たしているならば、それだけの利益を主張する権利もあります。
しかし、それは絶対的な権利を人間が持つかどうかとは別の問題です。社会の中の人間としてでなく、地球上の生命としての人間を考えたとき、人間の生きる権利うんぬんを考えるのはナンセンスです。
みんなが正しいと思っていても、誤謬を含んだものをみんなで信仰しているだけならみんなで落とし穴にはまることになります。
それを避けるためには、自分たちがどういう状態にあるのか、何を目指すのかを、広い視野の元で考える必要があると思います。
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