個人の発展


 人は皆自分にとって大切なものを探し、それを求めて生きています。何を大切に思うかは人それぞれです。
 ただ、それが自分にとって本当に大切なものかどうかはまた別です。またその望みが高い次元に昇華されているものもあります。その発展段階を考えてみたいと思います。
 ここでは「焦点」と「枠」と言う言葉を用います。「焦点」は何を大切にしているかと言うことです。「枠」はその焦点の範囲の大きさを示しています。

1.自分の外に焦点を定めているもの
 もっとも低い段階においては、自分の存在とは直接関係のないものに焦点を当ててそれを求めています。物質や金銭に情熱を傾けても、それは自分の外側にあるものです。
 価値があると多数の人が思っているものを身にまとうことにより、自分に価値が付加されると思うこともありますが、それは自分にとっては本当に大切なものを手に入れたとは言えません。
宝物を手に入れたような感覚を得たとしても、自分が自分として成すべきものと関係のないものであれば、自分にとっては大した意味はありません
 この段階では寿命を全うしたとしても、それは人生を浪費したと言うことかも知れません。

2.自分自身に焦点を定めているもの
 自分が自分として何を目指し、成そうとし、求めているかと言うことです。この段階では焦点が当てられているのは自分自身の存在そのものです。
 
その大切さを決めるのは自分自身です。他人の評価は二の次であるため、見かけや世間体などには左右されません
 
 自己中心的と思える人は2種類に分かれると思います。
 ひとつめは
自分の利益を優先させる人です。でも、その人が大切にしているのは自分そのものではなく、自分の外にある存在であるものです。自分にとって本質的でないものを追い求め、手に入れたとしても大した意味はありません。
 もうひとつは自
分の追い求めるものを真っ直ぐ見据え、それ以外が大した事に思えないために周りに結果として迷惑をかけている人間です。
 他人にとっては大した価値がない様に見えたとしても、彼らにとっては大きな意味を持つものを求めています。それは自分自身にとっては本質と呼べるものです。時として、社会の発展に大きく貢献することがありますが、それは結果としてのものであり名声や富のためにそれを成し遂げたわけではありません。
 自分自身を大切に思うと言うことは何より大切であり、
その次の段階に進むための基礎だと思います。
 自分が成すべき事とそうでない事を求めることを見分けることが大切です。自分にとって意味のないことに目標を定めることは人生の浪費につながります。

3.焦点の枠が自分を超えて広がっていく
 最後の段階では自分自身を超えたものに対しても、あたかも自分自身のことのように大切に思う、という段階です。
 最初は自分自身だけが対象であったものが、それを包む社会や環境というものまでを対象にしていくというものです。

 ここまで至れたとき、自身の精神状態は「
自分も許容する、周囲も許容する」というものです。他人の幸福は自分の幸福のように感じ、社会の発展を自分の発展のように感じます。
 自分自身の利益はたいしたことではなく、自身を超えたもののために命を捧げることができる段階です。根底には自身を尊重する心があるため、犬死には望みません。

 精神の発展度合いは低い段階から始まり、学習や経験により高い段階へと進んでいきます。
 その段階はずっと固定されたものではなく、その時の状況や精神状況により変動したり、印象的な出来事により高みに登ったりします。
 自分の祖国が存亡の危機に陥ると3段階目に到達する人がたくさん出てくるのは、人間が社会性動物としての本能を強く持つからだと推察されます。
 ひょっとすると平和な暮らしの方が高い精神段階に進む人は少ないかも知れません。
自分の目先の楽しさだけを追い求めていても暮らしていけるなら、それで十分だと思う人が増えるだろうからです。

 いくら長生きをすることができるようになっても、有意義な人生だったといえなければしょうがないと思います。また、よりよい社会になっていくためには、個人個人の精神が昇華していかなければいけないと思います。
 一方で食うや食わずの世の中では、焦点の枠が広がる段階までは進むことは困難です。一人ひとりが自分らしく、より良く生きていけるような社会になって欲しいと願います。


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