個性と自分探しと自己実現
人間は
社会性動物
です。社会性を持つ動物の傾向の一つとして、
それぞれの個体が異なる性質を持っている
ことがあります。
危険な外敵と出会ったときにみんなが好戦的では危険にさらされる可能性が高まります。かといってみんなが臆病では前進以外に危機を脱する手段がないときに窮してしまいます。
みんなが同じ考え方しかできないならば新しい知恵を生み出すこともできず豊かな社会を築くことはできません。
それぞれが異なる性質を持つことによって様々な状況に対応することができるとともに、社会を構築し発展させることができる
のです。
真の個性とは
それが活かされることによって豊かな社会の実現へと貢献
されるものです。それは人としての内面からあふれる、誰もが
自分自身の中に
持っているものです。
「個性的」という言葉は間違って多用されている気がします。人と変わった外見をしたり、うわべが人と異なることを個性的と呼ばれることがありますが、そんなものは
個性でも何でもありません
。
人と変わった服装をすることによって自分が個性的だと勘違いするのは本人にとっても社会にとっても不幸なことです。
真の個性とはそれが自分のためであると同時に誰かのためになるものだけです。自分自身の自己満足のために成されたり、ましてや誰かのつくった価値観に自分をはめることは自分の個性を発揮しているとは言えません。
運命が定められているとは信じていませんが、自分がどんなことをすべきか、どうあるのが一番自分らしいかということは生まれ持ってどの人にもあると思います。
全ての人は自分にしかできない、自分が成すべきものを持って生まれてきています
。
充実した人生とは、自分が成すべきものを見つけだしそれを成し遂げることでしか得られない
と思います。
誰かのつくった価値観に自分を当てはめ他人の定めた目標を目指すのは悪いとは言い切れませんが、本来のあるべき形ではないと思います。他人から目指すものを与えられ、それが自分の成すべきものに近いならそれは幸運ですが、がむしゃらにはしごを登ってから自分の成すべき事ではなかったことに気づくなら、それは自身にとっても不幸であり、社会にとっても人材の浪費として不幸なことです。
自分の成すべきことを見つけだす
ことはすなわち「
自分探し
」であり、
成すべき事をなす
ことはすなわち「
自己実現
」です。
自分探しのためにはまず自分の目で世界を見つめいろんなものを見、視野を広げた上で、しっかりとした世界観を持たなくてはいけません。その上で自分自身にふさわしいものは何かよく考え、自分の頭で目標を考え出さなければなりません。
自由な時代では自分の生きる目標と生き方を決定するのは自分自身の責任
です。
社会が発展したおかげで本来の自分が成すべき事をなすことができる時代になっています。一昔前なら、身分や境遇によって自身の行動に制約が科せられ、本来成すべきと異なることをせざるを得ない人が多い時代が続いていました。
自分探しと自己実現は生理的な欲求・安全の欲求など基本的な欲求が満たされる社会でようやく普遍的となり得る高度の欲求
です。ようやく社会がそこまで発展してきたと言えると思いますが、自由な社会では自分の行動に自分でたがをはめる倫理観と社会全体が何を目指すかという共通の目的意識が必要です。
倫理観と目的意識は
個人的な欲求を社会的な欲求へと高度なレベルに昇華
させるものです。現在は人間社会はまだそこまで発展していないと感じます。人間はそのポテンシャルは持っていると思います。人間が自分たちへのおごりを捨て、世界をありのまま見つめ自分たちの頭で素直に考えるのならそこまで到達することは可能だと思います。
それを阻害するものは「
エゴ・利己・欺瞞
」の気持ちです。自分たちの頭で世界をねじ曲げ意図をはさむなら、そこに「
偽善
」も加わってくるでしょう。
いずれにせよ、そこに人間社会がたどり着けるように努力をするのも生を受けた僕達の使命のひとつだと思います。
個性は自分が自分らしく社会に参加していき、そうあることで一番楽に充実していられるためのものであり、自己実現へとつながっていくものです。
自分が何を成すべき存在なのか、それを探す過程が自分探しです。個性の確立と自己実現は全ての人が真に自分らしく充実した人生を送るためのカギとなるものであり、
ゴールではなくスタート地点
です。
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