ものの見え方はいろいろ


 価値観は人によって、場所によって、また時代によって異なります。
 価値観とはその状況を捉え、行動を選択するための判断基準であるため、状況が変われば異なるのは当たり前です。

 同じ時代、同じ場所でも人によって異なります。というよりも
自分と全く同じ価値観を持つ人間はこの世には恐らく存在しません。境遇、生活、経験がそれぞれ違うためです。
 ひとつの社会の中の人たちは似通った価値観を持っていることが多いですが、それは彼らの歴史や文化が共有されていることによるものです。

 一つのものを示されたときにもそれをどう捉えるかは人それぞれです。あるものが一人の人にはとてもかけがえのないものに感じられたとしても、違う人にはどうでも良く感じられるかも知れません。
 
何かの価値を考えるときには一つのものにいろんな側面があることを忘れてはいけません
 また、見方によって、言い回しによって同じような言葉でも真実となったり嘘になったりします。

 「生命は尊い」という例題においてもそうです。
 人間社会にとって人の命は敬意を払われなければならない、という言葉は真実です。なぜなら社会が存在するための基礎観念=社会の構成員が持つべき倫理観としてそれは守られなければならないからです。
 その言葉を否定する人間は人間社会に存在することはできません。それは社会で存在を許されるための最低条件だからです。

 一方で、人の命は宇宙にとっても価値があるというと、それは嘘です。人間社会は人間が作るものなので、その中での価値観を自分たちが決めることは問題ありません。
 しかし、自分たちを越えた存在である宇宙にとってということにしてしまうと、それは欺瞞以外でなくなってしまいます。それは次元のすり替え行為に過ぎません。

 
価値観は「誰にとって」「どういう角度で見るか」によりそれぞれ次元、見え方が異なります
 人間は自分に都合のいいように物事を解釈しようとします。その時に頻繁に使われるのは「
次元のすり替え」です。

 本来は自分の利益を求めているだけなのにそれを正義の名の下に行うと言うこと、自分が希望しているだけなのにまるでそれが初めから最終目的とされていたかのように言うこと、それらは次元のすり替え行為です。
 自分の望む結果に結びつけるため真実をねじ曲げ人を陥れる行為は人として卑劣な行為です。

 それは真実を真実で無くす行為であり、社会を奈落の底に落としかねない一歩間違えばペテン行為です。
 「
最低の偽善者はいつも最高の笑顔を浮かべて近づいてくる」という言葉を忘れてはいけません。
 また、自分たちも意図的に、また知らず知らず次元のすり替え行為をしていることがあります。
 遊びに行く予定を決めたもののあまり遊びに行く気分でなかった時に雨が降ってきた。こりゃしょうがない、といってやめると言うときなどもそうです。

 次元のすり替え=
物事の見方を変える行為は必ずしも悪ではありませんが自分の心をもだましてしまうことがあるので気をつけなければなりません。
 時にプラス思考として状況の好転に用いることもできますが、あくまで
状況の判断と選択は自分の頭と意志で行われるべきです。
 自分の望まない状況に置かれたとき、最善の方法は自分の知性によってよりよい形を創造し、それの実現のために努力をすることです。
 状況を改善することなしに自分の見方を変えて終わるのは悪いとは言い切れませんが次善の方法です。

 価値観は状況を切り抜けるための人類の武器ですが、それは
狂気を奥底に秘めた両刃の剣です。
 物事は見方によりいろんな側面がありますが僕達はそれを
ありのままに捉え、健全な価値観を築いてより良い未来へたどり着けるよう最善の選択をしていかなければなりません。

 いびつな価値観を振りかざし人を惑わせる行為は反社会的な行為です。
 物事のうわべでなく、より本質に近いものを見抜くように気をつけなければいけません。


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