なぜ勉強するの?


 子どもにこう聞かれて困る人は多いでしょう。勉強する本人にも勉強する理由が分かっていないことが多いでしょう。人によって理由は異なるのは当然ですが、僕が考えている勉強の本質は「人や社会に貢献し、自分の人生を豊かにするために自分の能力を磨く」ということです。

 
人は一人では生きていけません。そのため、みんなで協力して社会を形成し、ひとりひとりが自分にしかできないことを果たし合っています。食物を作る人、社会を守る人、電気を作る人、etc・・。ひとりで生きているつもりの人はたくさんいると思います。でも実際にはひとりで生きている人なんていません。水道をひねって水が出るのは誰かが水道の施設を作り、誰かが管理し、誰かが水を作っているからであり、そこには多くの人が知らず知らずのうちに関与しています。そこには職業の貴賤はありません。誰もが誰かの役に立ち、お互いに助け合いながら生きています。

 社会に生きる限り
社会に対して、他人に対して、自分の特性を生かして貢献しなければなりません。誰かの役に立つ人間になるためには、勉強して技術と知識を身につけなければなりません。言い換えれば、本当の勉強とは人と社会に貢献するための物です。

 電気工事が勉強の人はより良い仕事ができるように日々電気の勉強をしなければなりません。パンを焼くことが仕事の人はよりおいしいパンを焼けるように研究をしています。それが本当の勉強です。
自分の目指す所に到達するために、自分自身の能力を磨く、それが勉強の意味です。目的意識が無く、ただ知識を詰め込んでいるだけなら、それは本当の勉強では無く、勉強のまねごとにすぎません。

 大学に入るためだけが目標の物は本当の勉強なんかではありません。良い大学に入り、良い就職をし、良い収入を得る。そんなことは人生の目的ではありません。大学にはいるための勉強は漢字や数学など、基礎知識がないと専門的な知識を得る土台ができないからということですが、その過程での学ぶことは厳密にいうと、勉強をできるようにするための準備段階にすぎません。

 なぜ勉強しないといけないの?と聞かれて、「大学にはいるため」と答えることは欺瞞です。親としての責任は子どもに豊かな人生をおくらせてあげることだと思います。子どもが何かをしたいと目標を持ったときにそれを達成できるよう、また自分でやりたいことを選択できるようにしてあげるために勉強させるのでしょう。人生の本質を探るということを教えずに物事のうわべだけを伝えるということはしてはいけないことだと思います。

 
目的意識のないところに意志は生まれません。本人がやりたいと思えば、どんなことでも放っておいても本人はします。その楽しさとやりがいを知っているからです。周りの人間にできることは、「勉強をさせる」ということではなく、その意味や楽しさを教え、やり方を身につける手助けをするということでしょう。


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