歴史を学ぶということ
歴史を学ぶということを想像するとき、たいがいは何年に何が起きた、事件の名前はなんだと言った暗記が要の勉強だと思われがちです。
何が起きたかを覚えることは確かに大切なことではありますが、一番大切なことはもっとその奥にある部分です。
僕は歴史を学ぶと言うことの意義は大きく分けて2つあると思います。それは
人間を知る
と言うことと、
自分たちの先祖が成してくれたことに感謝をする
と言うことです。
何が起きたかということは表面から見える事実です。そして
なぜ起きたかという真実
はその奥にあります。その真実を捉えない限り、
そこからどうするか
という次へとはつながりません。
歴史が生まれるときの背景と選択肢を把握し、なぜその選択がなされたかを知ることは、
人と社会の動きのメカニズムを知る
と言うことです。
歴史を学ぶことの意義の一つは、かつて選択を誤り悲惨な結果に結びついたことを知り、そこでなぜそうなったかを考え、
同じ過ちをしないよう、次の判断への教訓へと活かす
事です。
ある国に対してのステレオタイプを形成したり、憎悪を抱かせたりするために歴史を学ぶのではありません。事実に脚色を加え、意図を持って知らしめるのは正しく人を知ることとはかけ離れた行為です。
現代人は皆ホモ・サピエンスの末裔です。地域により差異はあるもののその
習性、思考はほとんど同じ
です。
どの国の人もルーツと仕組みは同じであることを考えるなら、
相手の存在を否定することは自分自身の存在をも否定する行為
です。
相手が悪いからそうなったと考えるのではなく、
人間にはそういう危うい面があるという認識をして、そういう面が出ないように
気をつけていかなければならないのです。
人が何かを判断し行動するときには常に心の中に何らかのメカニズムが働いています。メカニズムを変えれば悪い結果が出ないようにできる場合もありますが、悪い場面で悪い出来事が重なれば否応なしに悪いメカニズムが働いてしまうこともあります。
悪いメカニズムが働き悲惨な結果が出たときに、その行為をした人々を非難するのは簡単です。しかしそれでは
同じような場面になったとき、同じメカニズムの元また悲惨な結果がおこる可能性
があります。
そのメカニズムを知り
それが働かないような状況
をみんなで作っていかないといけません。そして好ましいメカニズムが働くような環境を整え、より良い未来へとみんながたどり着くように協力していくことが大切だと思います。
憎み合い、非難し合うことからは何も生まれません
。
お互い自分の目先の利益だけにこだわっている時、なによりも足りないのは
将来のビジョン、共通の目的意識
です。
歴史は常に動いています。今という時代も終着点ではありません。
人類全体が大きな目標を目指し、過去の歴史を教訓とできるよう学んでいかなければなりません
。
今を生きる僕達の使命の一つは、
社会をより良くし、それを次の世代へと引き継がせる
ことです。歴史を学ぶということはそこに大きく役立つことです。
もうひとつの歴史を学ぶ意義は
先祖達への感謝
です。
僕達は僕達だけで生きているわけではなく、いろんな人たちの努力や犠牲の積み重ねの上に今という時代を生きている
からです。
歴史を知ると言うことは過去の人たちが何を成したかを正しく知ると言うことです。
僕達が生まれ持った生を軽んじ国を台無しにするならば、それは今まで努力してきた人たちの生を否定し踏みにじる行為
です。
過去の人たちの積み重ねの上に僕達が存在できると言うことに感謝をし、それをまた後世に伝えていかなければなりません
。
僕達の生も後世から見ればいずれ歴史の一部となる
のです。
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