理想の社会
現在では冷戦は終結しているが、少し前までは共産主義か資本主義かと世界でイデオロギーの戦いが行われていました。どちらもお互いに自分たちの方が優れているんだと主張し、相手の欠点を責め合っていました。
結論から言えば社会のイデオロギーはどちらでも構わないと思います。
人間社会は誕生してから、農耕の発達、人口の増加、新しい技術の開発などいろんな条件に影響されながら少しずつ形を変えて現在まで続いています。その中で試行錯誤を繰り返しながらいろんな形を試してきました。いつの時代も地球上にはいろんな形の社会が存在し、互いに影響を及ぼし合ってきました。
社会とはすなわち与えられた条件の下でお互いがよりスムーズに生活を送るためのシステムです。
歴史の変動により
新しい社会の形が生まれました。不具合のあるシステムはすぐに廃れますが、うまくいったものは改良されながら洗練され次の時代へと引き継がれていきます。歴史自体が社会の仕組みの実験場と言っても良いでしょう。
それらは全てあることを目指しています。それは「
その社会の元で人間が幸せに豊かに生きる
」ということです。それまで積み重ねてきた社会意識、与えられる資源や環境、周りの社会とのつながりなど与えられる条件が違うだけで、その目的自体は変わりません。社会の役目はその一点につき、それをうまくこなせるシステムのみが生き残ることが出来ます。
社会がおかれた条件の下でより多くの人がより幸せに生きていけるシステムが良い社会と言うことです。その原則に従って言えば、
理想の社会の形が何かと言うことは出来ません
。条件が変われば取るべき方法も異なるからです。
例えて言えば理想の生物の姿を思い浮かべるようなものです。恐竜は温暖な時代に適応した生物であり、ほ乳類は寒冷な時代に適応した生物です。その条件により適合した生物がより多くのニッチを占めると言うだけであり、条件が変動することを無視して理想の生物を思い浮かべること自体がある意味ナンセンスです。
社会も同じで、
条件が変わればそれに応じて形は変化していく
のが当たり前です。ある一つのイデオロギーを最上とし、それ以外を否定したりまるでそこにいたるために歴史が動いていたかのようないい方をするのは間違いです。
どんな社会システムでもそれによりメリット、デメリットを受ける人間が出てくるため貧富の差が激しくなったときにはそのひずみが大きくなります。また外部から受ける条件の変動が社会の許容範囲を超えることもあります。それに社会が対応できなくなったときに社会は崩壊します。
ただ、そこには人間が残るため、新しい状況で人が暮らすための新しいシステムが作られていきます。
どんなイデオロギーが最良かという議論になると自分たちのイデオロギーが最良であると主張する人間が出てきます。しかし、
その主張を最も強くする人々は、最も特権・利権を得ている人たち
です。本心から理想の追求のために言っている人もいますが、得られる利益のために言っている人もいます。大多数の人は何も言わないサイレントマジョリティーです。
利益を追求することが悪だとは言いません。経済活動などに伴い産業が発展すればそれは社会にとって好ましいことだからです。
しかし、自分の利益を優先させ、社会のシステムを自分の利益のために利用したり、他人の不利益を軽視するような人たちが増えれば社会のひずみは大きくなりそのしくみは根底から危うくなります。
その社会が
「みんながより幸せに生きるためのもの」でなく、「一部の人間が利益を得るためのシステム」になったならそれは誤った社会です
。
社会は人間が暮らすために作られるのであり、人間が社会のために存在するのではありません
。
時代の変化に合わせてよりよい社会のあり方をみんなで模索し、よりよい社会をみんなで作り上げていく
のが健全な方向です。
どんなイデオロギーが最良という議論は無意味です。その社会に生きる人が幸せであるなら共和制でも王制でも社会主義でも資本主義でもいいのです。なぜなら社会のシステムは人間にとって「手段」でしか無いからです。「目的」は幸せに生きることです。否定しあい、反目し合うことは無意味です。それよりはお互いのシステムから学べることを吸収し、高め合っていった方がいいでしょう。
理想の生物がこの世に存在しないように、理想の社会というものもまた決まった姿であるわけではないのですから。
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