世界観、目的、手段
価値観と言う言葉はいろんな面があります。自分がどういう生き方を選択するかという真面目なものから、コーヒーか紅茶かといったような嗜好品の好みまで様々です。
価値観について考えようとしたとき、まず考えないといけないのは価値観とはなんなのかと言うことそのものです。
広辞苑によれば、価値観とは「
個人もしくは集団が世界の中の事象に対して下す価値判断の総体
」とあります。
ここでは、価値観は
人が世界をどう捉え、その中でどう生きていくかについての考え
ということだとしておきます。
価値観は人間が世界の中で生きていくための武器としてのものであり、知性とワンセットのものです。
その過程としては、自分とそれを包む世界に関しての「
世界観
」が形成され、
自分がその世界の中で何を目指して生きるか
という「
目的意識
」を持ち、それを
どうやって実現させるか
、また
行動に際しての美学
としての「
手段としての方法論
」を確立させるという順序になると思います。
自分がどこにいるのかを把握せずに目的地を考えることはできません。
目的地がはっきりしていないのに移動手段だけを揃えてもむなしいものです。
世界観、目的、手段は自分自身で考える必要があります。自分が自分の人生をどう使うかは自分自身の問題です。
自分自身の世界観から紡ぎ出したものでないものを目標とすることは自分自身をロボットにしてしまう
と言うことです。
自分が創りだしたものでない世界観、目的、手段を絶対のものとし、批判することも許されないならば、それは洗脳されているだけかも知れません。
個人それぞれが考える価値観が個人それぞれの価値観です。ただ、好ましくない価値観もあるのは事実だと思います。
価値観は
人類社会が安定して存続
することと、
構成員としての個人がよりよく生きるためのもの
であるべきだと思います。
個人の欲望や自己満足のみを求め、他人や社会を傷つけることをいとわないものはよくない価値観
だと思います。
人が世界をどう捉えるかということは、時代により、地域により異なります。どれが正しいと言うことはできないと思います。自分たちが現代社会で考えている世界観も、それが正しいと言い切ることはできません。
僕達が過去の人間の世界観を観察して荒唐無稽なのものだと感じていても、過去の人から見れば僕達自身の世界観も同じように評価されるかも知れません。
「
自分たちは特別でありこの世界は自分たちのために用意されている
」
その世界観は捨て去るべき
です。
好きなようにやるだけやって潔く世界から消え去る、それも悪いとは言えません。ただ、生命の目指すものは世界の覇権を握ることよりも、
世界の中で存在し続ける
ことの方がより重要だと思います。
人間は
存在するものを見て、それに意味をつけたがります
。太陽は光を出すために、風は心地よさを感じさせるため、水は喉を潤すために・・。
この世に存在するものは僕達のためにあるのでしょうか。多分そうではありません。偶然か必然かは知りませんが、僕達はこの世界に存在するようになった。僕達は知性を持って世の事象に価値をつけるようになった。おそらく、それだけです。僕達がこの世界にいるのは、おそらく特別な事ではないのだと思います。
特別ではない僕達が、それでも自分たちの存在に意味を見いだし、喜びを持って生きていく
という価値観、しかも
なるべく誤謬を含まない
価値観が次世代において好ましい価値観だと思います。
目的に関しても好ましいものと好ましいものがあると思います。気をつけないといけないのは、
誤謬を含んだ世界観の元では誤謬を含んだ目的が創られる
と言うことです。
「人生の目的」もかつてもたくさんの人が求め、未だ結論の出ていないものです。多分、人間に結論を出すことはできません。僕も別項で書いていますが、それは「おそらく」「〜と思う」という元での考察でしかありません。
自分が〜と思う、と言うことは自分にとっては真実
です。
しかし、
自分が思ったことを真実だと主張することは誤謬を生み出す元でしかありません
。
ただ、
人類社会にとって、という制限を設ければ社会のありようとしての目的意識を創り出すことはできる
と思います。
人類社会にとって普遍的な目的としてさしつかえないものとしては、上でも述べましたが、社会が世界の中で安定して存在し続けることと、その中で人間がより幸福に暮らせる社会を創ることです。
幸福な社会の構築を共通の目的とするならば、対立は無意味です。対立は不幸を生み出します。あるものを奪い合う事によって生み出される世界は悲惨な世界でしかありません。
与え合うことで高め合う、それが人類にできるのかどうかは不明ですが、人類全体が目指すべきものであると思います。
目的が定まれば、最後に来るのが手段としての方法論です。
目的を果たすために、どうすればいいか、自分としてどういう方法で成し遂げるか、守るべき美学は何か
といったものです。
これは最後に来るものです。今の「教育」と呼ばれているものは
知識、技術をまず教え、世界観や目的意識の構築はあまり視野においていません
。経済社会の歯車としてのコマを造り出すだけならそれでもいいでしょうが、社会の目的のひとつは構成員としての個人が幸福感を持って生きられるということです。充実した人生のためにはそれだけではいけないと思います。
かといって、
できあがった形の世界観や目的意識を与えることは洗脳に他なりません
。
イデオロギーや宗教は手段でしかありません。本来の目的を忘れ、手段を追い求めることを目的としてしまうことは本末転倒です。
イデオロギーの対立は人類にとっては無意味なものだと思います。目指すべきはより幸福な社会の構築であり、どんな社会システムであるかは各論でしかありません。
価値観の構築は、世界観、目的意識、手段としての方法論の順序で築いていくものだと思います。段階を飛ばして築くことはいけません。他人から与えられるものでもありません。
自分自身がより良い人生を送れるよう、自分の力で築いていくものだと思います。
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