シュレディンガーのブタ


 分かる人にしか分からないタイトルですが、物理学は関係ありません。
 僕達は
様々な考えを同時に頭の中に混在させています。それらは矛盾しているものも多いのですが、時と状況により使い分けられています

 大好物が豚肉である子どもを想定しましょう。その子の豚肉に対する価値づけは「
豚肉はおいしい」というものです。
 ある時、その子が動物園に行って子豚と触れ合ったとします。その時にはおそらくその子は豚に対して食べるということは考えず、純粋に可愛いと思って触れ合うと思います。そこでの豚に対する価値づけは「
豚は可愛い」というものです。
 2つの異なる経験をした後にその子の心の中には
全く異なる価値観が重なり合いながら存在しています。その価値観が実際の感情として表れるのはそれが出るだろう状況に直面したときです。状況に置かれない限りは価値づけははなされることもなく、価値づけも決定されてはいません。

 動物園に行った日ではインパクトが強すぎるため、しばらく日にちがたってから子どもにプレゼントをするとします。
 そのプレゼントはミニブタの子ども、もしくは豚の照り焼きとするとします。どちらが送られるかは配送業者に任せ、くじを引いて1/2の確率で選ばれるようにするとします。

 すると、プレゼントされ「かわいい豚が来た!」と思うか、「おいしそうな豚肉が来た!」と思うかは1/2の確率となります。
 プレゼントをもらうまでは
どちらの価値観も重なり合って心の中に存在しているのですが、その状況を与えられることによって物事への価値づけがその時点で決定されるのです。

 普段、僕達は何気なくいろんな価値観を心の中に抱えています。中には明らかに矛盾するものもあります。ひとつの物事に対するいろんな側面、いろんな見方があり、その見方は
知識と経験により修正されていきます。
 実はひとつの物事が本人にどう映るかは人により少しずつ異なりのですが、同じ社会の中で暮らす人の間には「相手もこう考えるだろう」という思いこみがあるため、相手の言動を予測して行動しています。

 犯罪をしてしまった人を見て「もう少しガマンすれば良かったのに」と簡単に評価したり、カルトにはまっている人を見て批判したり、あたかも自分とは関わり合いのないよう考えてしまうこともあります。ほとんどの人が「自分はまともだ」と(多分)考えています。

 みんな人間という同じ種の生物です。一人の心の中には慈悲深い心と凶悪な心が共存しています。ただ、表に出ないだけです。それを制限しているのは
理性・モラルです。モラルは時に自分の哲学に沿わない考え方自体を封印してしまいますが、心の奥にはそういう考えも潜んでいると思います。そのこと自体は人である限りやむを得ないと思います。
 自分とは関係ないと考えるのでなく、
自分にもいろんな面があり、気をつけようと思う必要があると思います。
 考え方についても、特に体系づけて物事を考えようとするときは、ものの見方について矛盾するところがあるときには悩んだりしがちですが、
矛盾すること自体は別に悪いことではないと思います。物事にはそれだけ多面的な側面があると言うことです。それは自分の内部ではなく、外部から来るものです。


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