地球上の生命として、人間としての価値観


 僕達人間は地球上に生を営むあまたの種の中のひとつです。
 かつて、そして現在地球上に存在する全ての種は
生きること、子孫を残すことを目指して来ています。僕達も同じです。

 価値観というものを考えると、それが目指すものは
人間にとって外界からの情報を自らの価値観と照らし合わせてより好ましい行動を選択するということです
 人として生きていく、その価値観と地球上の生命の一員として生きていく、と言う価値観は整合性を持って共存することができるのでしょうか。

 人間としての生きる上での価値観を考えるのはより簡単です。価値観は人間が環境の中で生き抜く武器として、本来全ての人が持つ性質だからです。
 時代により、地域により世界をどうとらえ、どう生きていくかという思想は異なりますが、どう生きるか、それは全ての人が生まれて一度は考える問題です。

 一方、地球上の一員として生きていくという価値観はどういうものなのでしょうか。
 近年環境破壊が進むにつれ、「地球のために」といった言葉がもてはやされるようになりました。それ自体は耳あたりが良く、人間の良心を満たす言葉ですが、地球のために行動するという言葉には次元のすり替えがあるため、気をつけて考えないといけないと思います。

 
地球のためにエコをしましょう、という言葉は誤謬を含む言葉です。正確に言い直すならば、「今のままでは生活環境を破壊され、人間社会は破滅に至る可能性が高いので、そうならないよう反省し生活を見直しましょう。」です。
 地球のためにと言う言葉は自分たちに対して、地球に対しての欺瞞です。
本当は自分たちのためです。その目的は自分たちが生き抜き、子孫により良い生活環境を残すため、です。

 本当は自分たちのためであるのに、それを地球のためと言い換えるのは
価値観の次元のすり替えです。本当にそう思っている人も確かにいますが、地球のためにと言う言葉はエゴをオブラートに包む言葉です。

 人間が生きる限り
他の生命を犠牲にして生きることは避けられません。かといって、自分たちの欲望のまま好き放題を行うことが正しいことだとは思いません。大切なことは自分たちのためにということと環境とのかねあいのバランスを取りながら生きていくことです。そのためにも長い歴史を経て築いてきた人間の価値観・良心は役立つものだと思います。
 自分たちの思うように、したいことをする価値観で20世紀まで人間は生きてきました。これからはそういう生き方でやっていけなくなります。

 一方、
自分たちが持つ独特の性質である価値観を自分たちの外部のものに当てはめる行為は傲慢なものです。価値観は人間同士の頭の中に存在する概念に過ぎません。人間以外には通じませんし、その根元となる知性にも人としての限界があります。

 地球上の生命としての価値観というものは恐らく存在しません。あるのは人間の価値観だけであり、地球を擬人化して考えたとしても、それは地球自体の考えではありません。
 人間の価値観は相手の気持ちを考えようと言うことも可能にしていますが、地球の気持ちまで考えようと言うのは無理があります。
 
価値観は人間が持つ人間だけの性質であり、宇宙のどこでも通じるといった普遍的なものではありません

 僕自身は高尚な人間ではありませんが、人間の持つエゴ・利己・欺瞞・偽善といった性質は好きではありません。
 人間は地球の生命の一員ではありますが、かといって生命が地球のために生きているのかと言われると分からないとしか答えられません。
 それよりも自らの生存の方がより切実な問題であると思います。

 
地球上の生命として生きることと人間として生きることは別の次元の問題です。価値観を生んだのは人間の知性ですが、それは地球上の生命に共通のものではありません。知性と繁殖力、体力は生きるという目的のためにとぎすまされた同じ土俵上のものです。
 生命のひとつとして、人間として生きるということは知性を活かして生きていくということにおいてひとつにつなぐことができます。そこでは
知性は生存のための手段のひとつです。
 しかし、
知性は生命の絶対条件ではないと言うことを考えれば価値観を生命全体に当てはめようとすることはそもそもナンセンスです。
 他の生命に善悪感情を求めて無駄です。地球に生命に対する慈しみを期待しても無理です。
 世界はしかるべき法則に基づいて変化し、それぞれの生命は与えられた条件の下で生存をはかっているのです。地球上の生命としてなすべき事は恐らく、生き抜くこと、時代への架け橋となることです。その先に何が待ち受けているのかは僕達には予想は不可能ですが、僕達にできることは
世界をより正しくとらえ、より好ましい未来へとつながるよう自分たちの行動を選択していくと言うことだけでしょう。

 人間が自分たちの生存を考え、そのために努力する、それは当たり前のことであり悪いことではありません。ただし、自分と周囲に対してできる限り誠実に生きていくためには、自分たちの実際の姿をありのままに把握し、自分たちの価値観が誤謬に囚われていないかを見直していく必要があると思います。


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