なぜ占いを信じるか
僕には、占いが正しいかどうかは分かりません。
ちまたで占い師が言っていることがらが、真実なのか、それともただのインチキにすぎないのか、そんなことは僕には分かりません。
このコラムでは、
占いの正しさを検証することが目的ではありません
。
なぜ、人は占いを求め信じるのか、人は占いに何を求めるのか
、そこらへんを軸に占いというものについて考えてみます。
まず、人はなぜ占いを求めるのかと考えると、その答えは比較的分かりやすいと思います。
それは、
不安だから
です。
自分がこの世に生まれ、人として生きていく上で、いろんな不安を心に抱えているからです。
時代の古今を問わず、洋の東西を問わず、
自分が難局に直面し、どう考えて良いのか、どういう選択肢を取ればいいのかが分からなくなったとき
に、人は占いを必要としてきました。
戦争をするために卦を求め、自分の進むべき道を知るために神託を求め、恋愛に悩んで占い師を訪ね・・、
昔から、人が迷ったときに取る行動は、そう変わってはいない
と思います。
人は、
自分が今どういう状況に置かれているのか
、その中で
自分は何を目指し
、
どう生きていくべきなのか
、そういったことを自分で選ばなくてはいけません。
状況が切迫しておらず、自分の頭と心で状況を乗り切ることが出来るなら、占いは必要ありません。
でも、時には、
自分の置かれている状況が分からなくなり、自分が何をすべきか、どうすべきか、ということが自分では判断できなくなってしまう
ことがあります。
自分で判断できなくなったときや、あまりにも重大すぎる事態に直面したとき、
人は理性を持って正常な思考をすることができなくなってしまいます
。
あまりに負担がかかりすぎて、
自分の頭と心がパンクしてしまう
のです。
その時が、占いが求められるときです。
自分の頭で状況を考えることが出来なくなると、人は他人に(もしくは神に)、今、自分がどういう状況に置かれているのかを
教えて欲しい
と願うようになります。
また、自分が何をすべきか、どういう選択をするべきかが分からなくなると、人は誰かに、自分がどうすべきかを教えて欲しいと願うようになります。
自分の頭で考え、心で選択をするのではなく、
自分の外側から、状況判断と目指すべき目的、取るべき手段を得ようとする
こと、それが「占い」の本質であると思います。
すなわち、自分の内部から生まれた判断に従ってではなく、
外部からもたらされた指針に従って行動しようとする
ということです。
僕は、占いには2つの種類のものがあると思います。
1つめは、
外部から状況説明、目的設定、手段の指定をもたらすもの
です。近年は、占いと言えば、こちらを指していると思います。
もうひとつは、
相手に考えさせ、自身の力で答えをもたらさせる
ものです。
近年は、占いと言えば、前者の具体的な答えを外部からもたらすタイプのものが主流になってきていると思います。
でも、外部から自分のすべきことを指示されるということに注目するとすると、恐ろしいことに気づきます。
占いをする人間は、占われる人間を包む世界の姿を説き、目指すべき目標、取るべき手段を外部から相手の人間に吹き込むことによって、
対象となるべき人間を自分の意のままに操ることが出来るようになる
のです。
占いを求め、無垢に従う人間は、外部からもたらされた世界観、目的、手段を信じた時点で、
自分の思考能力は放棄
しています。
相手のもたらす内容に対して「思考の検閲」を行わず、相手の言うことが無条件に正しいと見なすことが“信じる”ということ
であるからです。
僕は占いというものは、基本的に信じていません。
自分がどういう状況におかれ、何をすべきか、どう生きるべきかということは、他人に決められるべきことではなく、自分で選ぶべきことである
と思っているからです。
だから、占いと称して他人に「自分の言っていることだけが正しいんだ」だとか、「これをしないと地獄に堕ちる」とか、「こうしなければダメなんだ」とか言う人間は、その占いが当たっているかどうかに関わらず、
そういうことを言う人間自体に対して嫌悪感を感じます
。
未来にどういうことが起こるかとか、そんなことは、人間には分かるはずのないことのはず
です。
分かるはずのないことを「自分には分かる」「これが正しい」という時点で、うさんくさい以外の何ものでもないからです。
誤解されそうなので言っておきますが、僕は占い自体が嫌いなのではありません。
未来を断言したり、分かるはずのないことを分かると言ったりすること、またそういうことを言う人間のことが嫌い
なのです。
他人の人生を操作しようとするような占いは嫌いですが、一方で健全な占いもあると思います。
そちらの方が、地味ではありますが、歴史上は主流であったと思います。
それは、先に述べた2つめのタイプの占いであり、それは、
あえて抽象的なことがらを、断片的に述べている占い
です。
全体の文章としては支離滅裂ですが、ひとつひとつの言葉を見ていくと何かを暗示しているような占い
です。
そういう占いを提示されると、占われた人間は、
その占いが意味することが何を言っているのかを理解しようと考えます
。
占いを求める人間は、あまりに重大な局面に面して、パニックに陥り、思考が正常に出来なくなってしまっている状態です。
占いを示され、その内容を理解しようとするなら、嫌でも
自分の置かれた状況と向き合い、その状況を占いの内容と照らし合わせながら考えなければいけません
。
思考がパニックになっているときは、異なる次元の問題を並列的に考えようとしているために、思考の整合性がとれなくなっていることがほとんどです。
言ってみれば、2本の違う糸が絡まって結ぼれているのに、それに気づかず両端から糸をむやみに引っ張り、糸がほどけないのでパニックになっているようなものです。
占われた人間は、
謎めいた暗号の内容をじっくりと考えるうちに、自分の置かれた状況が少しずつ理解できてきます
。
結ぼれた糸をいじっているうちに、絡まっていた糸がほどけるようなものです。
昔からある占いはどれも、「
いかようにも取ることができる
」ものです。
占いを示されても、それだけでは答えはまだ出ていません。
その占いを受け取った後、
占いを読み取る作業
が必要です。
読み取るのは、自分自身
です。
すなわち、占いをもらったとしても、
自分の状況を考え、目標や手段を考えるのは自分自身の役目
であるのです。
大昔から、占いと言えば、そういったあやふやなものであったと思います。
でも、最近の占いは少し様子が変わってきているのではないかと思います。
昔の占いにありがちだった、「抽象的なことがらから自分の頭で考える」という部分を省略して、
直接、何をするべきなのかという結果の部分だけが求められるようになってきているのではないか
と思います。
後者のタイプの占いが廃れ、前者のタイプが主流になってきているということです。
現代社会は、確かに便利になりました。
蛇口をひねれば水が出ますし、リモコンのボタンを押せばテレビが付きます。
確かに便利であり、その過程で思考する必要はありません。
現代社会において、人は
過程はなるだけ省略して、結果だけが与えられるようになることを望んでいます
。
占いも同じくだと思います。
自分で考えるのは嫌がられ、そんな過程を求めてくるようなものは敬遠されます。
テレビの占いコーナーを見ていてもよく分かります。
「今日は黄色いセーターを着ましょう」
「今日はパフェを食べましょう」
「今日は車でお出かけをしましょう」
そこでは、抽象的、暗示的なことではなく、
何をするべきか、具体的な行動が明確に示されています
。
どんなことを今日すべきか、それを教えてもらえるのは楽です。
その通りに行動していれば、気が楽になるでしょうし、ある意味楽しいでしょう。
でも、他人に行動を指示され、その通りにすると言うことにおいて、
自分の意志はありません
。
悩む必要もなく、したがって思考の入り込む余地もありません
。
他の誰かに、自分の行動を決めてもらうことは、たしかに楽です。
自分で考える必要もなく、仮にそれでうまくいかなかったとしても自分を責める必要もありません
。
「
あの占いは当たらなかった
」
それでしまいです。
いったい何が起こっていたのか、なぜうまくいかなかったのか、はたしてどうすべきだったのか、そういう、
失敗を反省し、自分の糧にすべきことがらも、まるで見直されることもなく、自分以外のところに原因と責任が転嫁されます
。
「
自分が悪かったのではなく、まちがった占いを与えた相手が悪い
」ということです。
そして、
失敗から何を学ぶこともなく、また新しい占いを求める
ことになります。
占いから自分の行動指針を得ようと考える風潮が拡がるなら、それが生み出すのは、
思考能力と想像力、そして意志の欠落した人間が増加した社会
です。
何が悪かったのか、それを知りたければ自分の頭で考えなければなりません
。
占いに依存する人間に最も必要なのは、“よく当たる占い”ではなく、「
自分の頭で考えようとする姿勢
」です。
占いは両刃の刃だと思います。
相手の混乱を沈め、「気づき」をもたらす
力にもなり得ますが、一方では
相手の思考に深く介入し、相手の人生を大きく左右してしまう
ことにもつながりかねません。
僕には占いの信憑性は分かりません。
でも、
自分の言ったことについて「私の言った通りにしないと地獄に堕ちる」などと語り、相手を脅迫することは、相手の知性や意志、人格を踏みにじり、その人生を自分の意のままに操ろうとする、人として断じてするべきではない、恥ずべき、下劣な行為である
と思います。
そういう偉そうにしているお前こそ地獄に堕ちろというのが、正直な感想です。
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