割り切るな。思い、悩み、考えろ。
僕達は何か疑問に感じるものを見つけ、それを誰しも自分なりに考えようとします。
中にはすぐに解決する疑問もあります。でも中には考えてもすぐには答えの出ない問題もあります。そんな時、「それはもうそういうもんだと思え」とのささやきの言葉が聞こえることもあります。
それは他の人に言われることもありますし、自分の心の中から出てくることもあります。
そういうもんだと割り切ることは確かに楽だし、疑問によって頭を悩まされることもなくなります。でも、考えの外においただけであって疑問が解決したわけではありません。
それが実際に問題を引き起こしていた場合にはその問題はずっと残り続けることになります。
目を背けることは楽ではありますが、それは
思考の放棄
です。
人は何かを体験したとき、それの意味を考え自分の世界観をふくらませる材料とします。
何か体験したとき、それを
何も考えずに受け入れることは学ぶことと言うよりは洗脳されることに近い
と思います。
自分の頭で考えずに無条件に受け入れることは自分の世界観に体験したものを吸収することではなく、他人が創った世界観に自分を吸収されることでしかありません
。
やはり、自分の頭で考えることが大切です。
自分の頭で考え、世界観を創りだし、目的を定め、そこへ至る手段を考える
ことです。
思考の放棄の先にはより良い未来も問題の解決もありません。
強力な牙や爪を持たない人間にとっては頭を使って問題を解決していくことは生き残るための最大の武器です。
人は目の前に立ちはだかる問題を頭で考え、解決法を編み出していくことの繰り返しで現在の形までなってきました。
考え続けることは人が持つ人としてのアイデンティティ
だと思います。
それに問題をそのまま残すと言うことは本来なら
自分たちの代で解決すべきものを自分たちの子孫に残す
と言うことをも意味しています。
「後は知らないからよろしく」ではあまりにひどい話です。僕達で解決できるものは解決すべきです。
そして疑問に感じたことに向き合わずそれを目の届かないところに遠ざけて終わりというのでは、自分へ向き合う姿勢としても好ましいとは思えません。
自分が疑問に思う点というのはやはり向きあうべき点があるからこそ気になるのだ
と思います。
例えば、何かしらの職業で、いつもそれに対しての疑問を感じていたりした場合に、それをそういうもんだと割り切って考えることはひとつの心のあり方ではあります。中には確かにどうがんばっても自分の力ではどうしようもない場合もあります。
しかし、それを放置しておくことは問題の解決にもならず、自分に対しても誠実ではありません。
罪悪感を感じながら行為を続ける場合などは、特に自分をも欺く行為である
といえます。
解決できるかどうかよりも、まず一生懸命思い、悩み、考えることが大切だ
と思います。考えないことには手に負えないかどうかも分かりません。
その時は解決することが無理でも、時間をかけて考え続ければ糸口が見えたり良い解決方法が見つかったりすることもあると思います。
割り切って行動することは確かに楽です。しかしそれは思考の放棄です。まず考えることこそが大切だと思います。
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