絶対者はいるのか、いないのか?
絶対者がいるのか、いないのか?その答えをひと言で言うなら「
人間には分からない
」という答えになると思います。
人間がその知性によって考えることのできるのは知性でうかがうことのできる範囲内のことのみ
です。絶対者としての神の存在の有無や、神様がどんな姿をしているかなど、そんなことは
知性の及ぶ範囲ではなく、人間の思考の範囲外にある
ものです。人間が規定することのできるものは人間の枠組みの範囲内のもののみであり、人間の枠の外に自らの概念を適用しようとすることは無理であり、定義しようとしても無意味です。
絶対者がいるかどうかについてはいくつかの可能性があります。それは、
1.
絶対者は存在し、人間の想像している形そのままである
2.
絶対者は存在するが、人間の想像しているのとは異なる形である
3.
絶対者はいない
あたりが考えられます。宗教を純粋に信じ込んでいる人たちが想像しているのは1番です。なぜですかと聞かれたら、彼らは
テキストにそう書いてあるからです
と答えるでしょう。でも、そのテキストは紛れもなく
人間が書いたもの
です。神がそのままの形をしているかどうかは直接姿を現すわけでもないでしょうから、人間には分かりません。正当性を実証する手段もありません。まして複数の宗教があり、お互いに自分の信じる神様が絶対者だと主張しあっているということは、
複数の神様が主張されるならそのうちのどちらかが、もしくはどちらもが明らかに間違っている
ということになります。
人間に神の存在を証明することができない限り、神の存在に対しては
不可知論
で望むしかないと思います。ただ、もしいたとしても
1番の「神は人間が主張する姿そのままである」ということはおそらく無い
と思います。
人間は地球上に数多く存在する生命の中であり、人間以前にも種の交代が数限りなく存在していた
と思われます。
大きな流れの中のひとつの現れとして僕達の存在が今ここにあるとするなら、これまでの流れや自分達以外の存在が全て人間のためにあるという考え方は、僕にはおかしいとしか思えない
からです。
もしかしたら神は「
スピノザの神
」のように、
摂理としての素朴な形
をしているのかも知れません。神は自分達を愛しており、自分たちの存在には全て意味があり、悲しい事がおきたとしてもそれにも全て意味があるという考え方は魅力的ではありますが、根底に願望を潜んでおり、その願望が真理としてすり替えられたものである可能性が高いと思います。
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