女性の生き方


 女性はどう生きるべきだとかをえらそうに言うつもりはありません。日頃感じていることを感じているままに述べます。

 比較的最近まで世界で女性は冷遇されていた状況が続いていたと言えると思います。
 歴史を遡ると、西洋では
一神教からの男性優位の世界観が基礎にあります。
 また日本では貴族社会では女性優位でしたが、武家が派遣を握ってからは男性優位となったと言われています。それは戦争や対立の続く世界で、
戦争社会の戦い手としての価値が少ないと見なされていたことに理由の一つがあります。

 
ヒューマニズムの精神によって、男性も女性も同じ人間だという認識に移り変わり、女性の権利も男性と同じだと見なされるようになってきました。
 一方近年では、抑圧されていたことのリバウンドとして、女性も男性と同じでなければならないという主張も聞かれます。
 男尊女卑の考え方には同意できませんが、男女が同じでなければならないという意見についても疑問を感じます。

 “
開放”という言葉の中に暗に含まれるのは、抑えてきた側と抑えられてきた側の対立という構図です。
 現在、世界が対立と競争を主軸においているのは次の時代への過渡期であるということに他ならないと考えています。
発展した社会は共通のビジョンに向かって皆が大きな視点に立ち、協力していく社会であると思います。そこでの主軸は調和と協力です。

 日本も昔は小国家に分かれ、それぞれが分裂して争っていました。明治維新後の時代は、強国に支配される事への切迫感があったため、小さな枠組みへのこだわりを乗り越えて、もっと大きなビジョンに向かって力を合わせることが何とかできていました(実際には派閥がありましたが)。

 今は大きなビジョンというものが分かりにくくなっており、細かい部分での対立が目立つという面もあると思います。
 お互いに力を合わせて目指すべきビジョンがはっきりすれば、お互いの利益だけでなく、もっと大きなもののために力を合わせるようになって行きやすくなると考えます。

 全ての人にとって一番楽で充実している姿は、
自分の成すべきことを成している姿=「自己実現」の状態だと思います。自分のあるべきでない姿を演じていたり、成すべきでないものに力を注いでもそれは不幸であり、むなしいことです。
 全ての人にとって目指すべきは自分らしくあると言うことです。他人が作った理想に自分を合わすのでなく、
自分で見つけだした自分にあったことをすることです。全ての人が自分らしい姿、自分の成すべきものをもって生まれてきていると思います。
 他人の作った姿に自分を合わせて生きたとしても、それが本来自分の成す事と違っているなら余り意味はありません。

 女は女らしくあれ、とは思いません。ばりばり働くのが合っていればそうすればいいし、縁の下の力持ちになることが合っているならばそうすれば良いのだと思います。
 ただ、自分に合っていないことを無理にしたり、そのために本来成すべき事を犠牲にすることは良いことだとは思えません。
 自分を押し殺しながら、「他人に求められている自分」を演じたとしても、それが幸せにつながることかというと、僕はそうではないと思います。

 社会参加にしても
自分らしさを発揮した上で参加すべきであり、「〜らしくなければならない」「同じでなければならない」と自分自身に呪縛を当てはめるのは、性の開放を通り越して新たなジェンダーの創設にもつながる行為ではないかと思います。

 次代の世界は
調和と協力が主軸になるのではないかと思います。これらは本来男性よりも女性の方が得意とする分野であると思います。
 社会参加に当たっては
自分らしさを大切にしながら、自分にふさわしいこと、自分にしかできないことを成していって欲しいと願います。

 「女性は男性に負けてはならない」のではないのです。
女性は男性と協力しながら社会がより良くなるように力を合わせていき、それを次代へと引き継がせていくことが大切なのです。
 人間相互の最も良い関係は、「
自己確立した人間同士の相互依存」の状態だと思います。自分らしく生きることが、他の人の役に立ち、社会にとって無くてはならないものになっていくということです。

 一方、「子どもを育てるということ」でも述べていますが、
子どもを産むと言うことは人生の目的のひとつでもあり、女性にしか成す事のできない尊い行為です。
 子育ては社会参加を妨げる事などではなく、
なによりも大切な社会貢献だと思います。女性はもっとそのことに対して自信を持って良いのだと思います。そして社会はそのことのありがたさ、尊さに敬意を払うべきです。

 
健全な人間が育ってくれなければ社会はそもそも成り立ちません
 それに自分たちがどんなに働いて社会を発展させたとしても、
それを引き継いでくれる人間がいないならどうしようもありません
 女性が子供を産んでくれると言うことは立派な社会貢献であり、子どもを育てると言うことは大切な人生の目的の一つです。
 人が生きるということは
親・過去の先輩から受け継いだものを自分達の手でさらに良くして、それを自分達の子供達に引き継がせていくという生のリレーであると思います。

 自分達が社会に参加するということは
社会を良くする部分への貢献をするということです。しかし、せっかく社会を良くしたとしても、それを引き継がせるべき子供達を育てなければ、社会を良くしていくことは無駄に終わってしまいます
 子どもは親にとってもそうですが、
社会にとってもかけがいのない大切な財産です。

 働くことは確かに社会参加の一つの形ではありますが、全てではありません。
結婚や育児を軽視する見方は誤りであると思います。
 社会というのは小さな単位が集まって成り立つものです。そして
夫婦や家族というのは全ての社会の根幹であり、基礎となる土台です。

 しかしながら、育児に入ると女性が再び働き出すのが大変なのは事実です。
 社会が目指すものは全ての人が充実した人生を送れるようにすることです。充実した人生のために女性が働きやすい世の中になるよう、社会のみんなでより良い次の社会の姿を探し出していかなければいけないのだと思います。
 社会を良くしていくと言うことは、
今を生きる自分たちのためであると同時に、次代を担う子ども達のためでもあるのです。


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