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子どもだっておやつを買ったり本を買ったり、ものを買いたいという願望はあるでしょう。僕も子どもの頃はお小遣いを何に使うか楽しみでした。
でも今度は親となる立場に立つと、どういう与え方をするのが良いのか考えてしまいます。
よく、「うちの家族には何不自由なく暮らさせてあげたい」と行っておられる方がいます。子ども思いのように聞こえますがよく考えるとそこには疑問が起こります。本人が欲しがるからと言って自由にそれを与えることは良いことか?ということです。
親の責任とは言うまでもなく子を立派に育てることです。それは子どもに、人生を幸せに豊かに生きる力を付けさせると言うことです。
人間には2種類あります。それは自分で目標を見つけそれを成し遂げるために努力をする人間と、目標など作らずましてや努力などしない人間です。
何かを欲しいと思ったときにはそれを手に入れるために何をすればいいかということを自分で考えることの出来る人間にならないといけません。他人から与えてもらうことを期待したり、自然に結果だけが転がり込んでくることを期待する人間には大きな事を為し遂げたり、苦労を耐えてその先にあるものを自分の手でつかむと言うことは出来ません。
それはすなわち、薄っぺらいうわべだけの人生をおくると言うことです。望んだ何かが叶えられたとしても、それによって自分自身の成長が得られていないときには、人生の中で見るとそんな成功には大きな意味はないのかも知れません。
人生はゼロサムゲームです。何かを失ったときには何かを得ており、何かを得たときには何かを引き替えに代償としています。
苦労なしに何かを得たとき、失うものはすなわち努力する心です。例え努力をしても得られなかったとしても自分自身は必ず成長しています。それは努力をしなかったときには決して得られなかったものです。
僕の子どもが成長して「車を買ってくれ」といったなら、僕は「おまえはそれのためにどれだけの努力をしたんだ?」と答えます。欲しいものは望んだから得られるのではなく、そのために努力を尽くしたからこそ得られるべきです。自助努力成しにものを与える行為は、結果としては子どものためにはならないと思います。
何でも良いので何か本人に出来る仕事をさせ、それのご褒美として与える方がいいと思います。それは「がんばれば結果が得られる」と言うことを学習することが出来るからです。
できるだけ努力をせずに結果だけを得たい、そんな考えはダメです。親の役目としてそんな人間を育ててはいけないと思います。 |
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