このコラムには続きがあります。
ここを読んだ人は、これが僕の結論だとは思わないでください。
読み終わったら、「
人権と言うよりも社会の中での生存権
」、「
なぜ人を殺してはいけないか、ふたたび
」、「
命の大切さを取り戻すために
」をご覧下さい。
なぜ人を殺してはいけないか
一昔、テレビの討論会で中学生がこの発言をし、物議をかもしました。もし、自分の子どもからこの質問をされたらどうしますか。
簡単に答えを出せないのはこの問いの根がとても深く、広い範囲にまで及んでいるからです。
どちらかというと、
この問いが出ること自体が問題です
。
それまでは言われなくても当たり前だと受け止められていたことが今は当たり前では無くなっていると言うことです。またそれを倫理として教えるべき親自体にその概念が薄く、教えることが出来ないと言うことです。倫理を教えられていない子どもは親になっても自分の子どもに倫理を伝えることは出来ません。社会に倫理を知らない人間が増えていくとしたら空恐ろしいことです。
社会の依るべき価値観の喪失と言い換えても良いかも知れません。
自由社会の支えとなるのは暗黙の規律としての
モラル
です。モラルのない自由は暴走であり、危険な状態です。価値観は多様でしかるべきですが、
最低限のモラルのための共通の価値観
は社会が持っていないといけないと思います。
社会に生きる人の共通の目的は人がより良く生きるための社会をみんなで作っていくと言うことだと思いますが、それを目的意識として持っていない
と言うことです。
それを目的意識として持っていれば、そもそもこんな問いは出ません。
目的を意識した段階で答えは出ている
からです。
しかし、子どもにでも分かるようになぜ人を殺してはいけないかを教えるのはなかなか難しいことです。
善悪は社会が作る概念
です。かつては圧迫感があるほどの善悪概念が社会を覆っていましたが、現代はその威圧感も薄くなっています。
説明のためにはいくつかの切り口が考えられます。
宗教的なものなど外から価値観を持ってきて説明するのは一番簡単です。
「神様が殺すなとおっしゃったから」
「殺生は業が深い行為だから」
その価値観を信仰するものにとっては効果があるでしょう。しかし、その価値観を受け入れていないものに対しては効果がありません。
とりあえずの現在の僕にとっての答えは
「
人生の目的は精一杯生きることと次の世代のためにより良い社会を残すことであり、人を殺すと言うことは精一杯生きている人の生を侵害し社会に悪影響を及ぼすと言うことにおいて二重の害を及ぼすから
」と言ったところです。
生命と社会を切り口にすると言うことは、それが通じない人間に対しては無力なのかも知れません。
ただ、社会がこの問いに答えられない背景には社会における
目的意識の欠如
があると思います。
良い考えをお持ちの方は教えてください。
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